ひなたぼっこの縁側日記

日々のことをつれづれなるままに書いて行きたいと思います。
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手を膝に玉音放送陽炎立つ

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*沢蟹をがき大将が分けてくれ

*草刈りの篭の重さよ母恋し

*絣着て麦藁帽子で鎌握る

*おさなぶり痩せた我が子を母は抱く

*戦争は二度と嫌です原爆忌

もうすぐ72回目の終戦記念日です。
あの忌まわしい戦争と戦後の辛さを語る人が年々減っております。

都知事選を控え真剣に一票の重さを意識し東京から躓きそうなこの国を
替えて行きませんか、国の暴走を食い止めたい候補者は政策を語らず
都民の意識に任せているように思われます。
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原爆忌

P7210011.jpg

この日を忘れないで伝えて行かなければ成りません。

戦争体験者の高齢化が進み語り部が年々少なくなってあの忌まわしい
戦争が忘れられようとして居る中で被爆三世として今自分達が立ち上が
る事によって全世界からの「核の廃絶を」と呼びかけている高校生達が
長崎におります。
「オバマさんを長崎に呼ぼう」と暑い夏休みに署名運動に汗を流している
姿をTVで拝見して胸が熱くなりました。

世界で唯一の被爆国として若い人達が立ち上がってくれたことに感謝して
います。

ラジオで放送されましたときは、リスナーの被爆者の方が涙ながらに感謝の
メッセージを寄せておりました。

世界で始めて核を使った國の大統領が始めて世界から「核を無くす運動」を
始めた今世界で唯一の被爆国で在る我が国から若い人が立ち上がったことは
大きな意義が在ると思っております。

頑張って下さい!!

猪の鼻トンネル襲撃

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あの忌まわしい戦争から63年が過ぎた今新しい
事実を見つけて語り継ぐ責任を感じ記事をUP致
します。(昭和20年8月5日南多摩郡 浅川で
その悲劇が起きたのです)

平和な時代長閑な田園風景の中をJR中央線は
甲府に向けて「猪の鼻トンネル」を抜けると左手
に「圏央道の高速道路」を見ることが出来ます。

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真夏の太陽が照りつける午後12時20分頃
満員列車の新宿発長野行き419号列車が
猪の鼻トンネルに差し掛かった時。

米軍戦闘機P51機、2・3機の銃撃を受けて
50数名以上の方々が犠牲となり、133名
の方々が重軽傷を負う爆撃を受けたのです。

日本最大の列車襲撃事件だったそうです。

FI2624374_3E.jpg

煉瓦のトンネルは63年が過ぎた今も当時のままの姿で現在も
何事も無かったように列車は通過しております。
列車の爆撃による負傷者は近くの集会所に
収容され村人の手に寄って手当を受けたそう
です。
傷の手当てに使われた集会所と井戸は今も
現役で先日見て参りました。

命を落とされた方達は「裏高尾(現在の日影沢周辺)」で荼毘に伏されたそうです

FI2624374_5E.jpg


南多摩郡 浅川村の青年団に寄って「猪の鼻
会」が作られこの悲劇を忘れることなく後世に
伝えるためにこの様な看板を立てております。

平和な現在では足を止める人も少なく戦後を
語り継ぐ人の高齢化が進み風化して行くことが
危惧されております。

日本が戦いに敗れたこの月を忘れることなく多くの犠牲と成って
命を落とした人々の御霊に礼を捧げたいと思います。
この碑を見つけた時に8月5日の記述に
フト吾に帰りました。

「私の戦争体験記」を検索してみましたら
私が2006年の夏に書きました「前橋空襲」
と同じ日でした。

あの日朝から異常な雰囲気で有ったことが思い出され
事件を知った日でた。

二度と再びこの様な忌まわしい事が起こりませんように
祈るのみです。
[ 更新日時:2008/08/06 06:34 ]
この記事のURL: http://www.doblog.com/weblog/myblog/29825/2624374#2624374
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忘れては成らない日です・・・

62回目の長崎原爆忌です(合掌)

ロザリオの閃光の先祈る夏







頂いたコメントのお返しが遅れております。
毎日36℃を越える暑さです・夕立が恋しいです。

早く元気になりたいです(=_=;)


1941年12月8日を忘れない(=_=;)

サイト巡りをしておりましたら・・・この方が書いて
おりました。

この日を忘れてはいけないのです。

二度と再び戦争を起こしてはならないのです。

年の瀬の慌ただしさに追われて沫や忘れる
ところでした。

あの戦後からやっとの思いで此処まで辿り着いた苦労を思い出す人が
年々減ってきております。

どうかこの日を忘れないで下さい。

今又世の中がきな臭くなり始めております。


防衛庁は何故か防衛省に格上げされようとして
おります。

一度自民党を離れた議員は気持ちよく復党して
おります。

何か何処かで可笑しいと思いませんか・・・

独りの戦争経験者として目はしっかりと見据えていたいと思っております。

一人の大事な息子を公の殺人犯にはさせられませんから・・・一人の母として。


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