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ひなたぼっこの縁側日記

日々のことをつれづれなるままに書いて行きたいと思います。
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花影。。。貴方と歩いた14年。。。その3

あの時の記憶を辿るとすればとても暑い日だったと言う事しか
覚えていません、電話を受けた時に自分でも驚くほど冷静に
身支度をしていた。

冷静の割には心の何処かで最悪の場合を覚悟していたのだろうと
思う、幸いなことに母が上京していてくれた事と親しくお付き合い
をしていた友達が海外転勤から日本に戻っていた事だった。この二
人が後の私たち親子の生活をどれだけ支えてくれた事か。

彼女は私の電話を受けると車を拾って飛んできてくれたのです。機転の
効く人で海外での生活が身に付いているのか、何事にも動じない落ち
尽きが備わって居る人でした。

手早く荷物を纏めて友人と子供二人で駆けつけた時は、すでに意識はなく轟音のような凄い鼾をかいてベットに横たわった姿は、まるで別人のようでした。

これが朝元気で手を振って出かけた人とはとても信じられない変わり果てた姿でした。
娘が高校二年で下の息子が小学校五年生でした。

倒れた近くの病院に運ばれましたので明日の朝までに「命」があれば三鷹市のK大学
病院に転送するとしかの説明しかない病院の態度に腹立たしい思いよりは悲しい思いの方が先に立ちました。40度以上の熱を下げる事しかする事のない一夜でした。

急いで持ち出した手荷物の中に電話帳を入れてきた事は幸いでした。普段は覚えている事も思い出すことは出来ないのですから、いかに普段の生活訓練が大切かを実感致しました。

電話代として持って出た小銭も大変役に立ちました。病人の熱を下げる為の氷を買う
お金を、近くの私鉄の駅に行って娘が両替してきた機転は、今・近くに住んでいる孫には無いと思います。人はそれぞれの立場に沿うような人が選ばれているものなの
でしょうか。


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