ウルトラの母

新学期が始まって二週間が立ちました。先日公立中学
校に子供を通わせている娘が父母会の帰りに役員が
決まらずにお開きになったと言って寄ってゆきました。

中学三年生ですと役員選出は大方の方がお役を済ま
せているらしく話は長引くばかりで、何の進展もないま
ま時間ばかりが無駄に過ぎて仕舞い娘は、昨年本部
役員を済ませておりますので。

一区切り付けて土曜日の夜に、もう一度全員が集まって決めることにしたそうです。
今は子供の教育に、お金が掛かりますし銀行の利子は全く有りませんので遊んでいる
お母さんは、一人もいないそうですので働いているとか、老人を抱えているとかは個人の問題で聞き入れて貰えないようです。

すたもんだの挙げ句に今まで何もやらない人達であみだ籤で決める事に成りました時に一人のお母さんが、私は「その器」ではないので皆様にご迷惑をお掛け致しますから、籤は引きませんと言われたのには、一同が唖然としたそうです。

めんどくさくなって来て娘は泡や「ウルトラの母」になる所だったそうです。こうゆう場面で三分間の我慢が出来ない人を「ウルトラの母」と言うそうです。

ジット我慢して「ウルトラの母」に成らずに帰ってきたと笑って話しておりました。私もこう言う時に我慢が出来ない「ウルトラの母」だったのです。出来ても出来なくてもお役に立てるなら・・やらせて頂きます・・三分の我慢が出来ません^^;

「三分の我慢できないウルトラの母貧乏くじを良く引き」





[ 更新日時:2005/04/18 00:14 ]
13:47 | つぶやき | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

ブログ

年甲斐もなく昨年の11月の末から始めたブログです。
生きている内に主人の事を書き残したくて・・何も語
らずに行かねば成らなかった無念を思うと。

こうして始めたブログでしたが、始めてみますと判らない
事ばかり何時も悲鳴を上げていました。そんな私を優し
く受け止めて下さった。ブログ内の方々・・せっかく書いた
ブログが、「只今混み合って・・」のコメント一つで泡と消えてしまったとき。
手を差し伸べて下さって、色々な事を教えて頂いてとても勉強に成りました。

トラックバックがどんなものか、写真はどうすれば載せることが出来るのか
ブログを初めて四ヶ月になろうとしておりますその間に教えて頂いたことの
数々本当に感謝致しております。

新しい季節沢山のブローカの方がいらっしゃると思いますが。自分なりの信念を持って
飽きることなく、手を携えて頑張っていきましょう。私が一番感激致しましのはこの一月に入院致しましたときも、励ましのコメントを沢山頂いたことです。そして励まして下さったことです。また先日は、行方不明のお嬢さんを捜すブログを沢山の方がトップ記事に書かれていたことです。

判らないことは悩まずに大きな声で叫んでみましょう。必ず手を差し伸べて下さる方が
いらっしゃいます。春と共に心豊かに励まし合って楽しいブログ生活を楽しみましょう!!
[ 更新日時:2005/03/30 08:51 ]
12:11 | 私とパソコン | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

猫の首

先日仲の良い友達と奥多摩の蔵元に遊びに行って来ました。
この季節奥多摩に行くこと自体が無謀な事なのですが、幸い
雨模様でしたので完全装備で出掛けてゆきました。

中に一人とても敏感な人が居りまして彼女が駄目でした。
蔵元に着いて「試飲会」が終わった頃大番頭さんらしき
人がコップにコーラーの様な物を持って私達の所に来てこれを飲
んでみて下さい。と言われて頂いたものは特別美味しくもなく飲み憎くも無く何だか判りませんでしたが杉の花を煎じたジュースでした。

この辺は、私達の所よりも多くの杉の木が目の前にあります。多くの花粉症で悩む人がいるそうです。このジュースを飲み始めてかなり楽に生活できるように成った方が居るようです。来年からは商品として売り出すようなお話でした。

杉の花が近くに有るのならば自分で作っての見なさいとのこと。お土産に2リットルの
ヘットボトルに頂いてきた友達は、飲んだ瞬間は鼻がスートするそうです。では作ろう
と言う事になっておりますが、さて誰が「猫の首に鈴を付けに行く」のでしょうか・・

花が開いている方が良いとは大変なことです。煎じた後の杉の花を食べても良いそう
です。杉花粉飴が売り出されているのですから杉ジュースが出来ても可笑しくはない
のですが。近いうちにお友達の山に杉の花摘みに行ってきます^^;

「この季節藁をも掴む心地して猫の首をも怖さ忘れる」

[ 更新日時:2005/03/31 05:51 ]
12:07 | つぶやき | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

産みの苦しみ

或るお母さんがお嬢さんに頼まれて「ピアス」の穴を開けることに
なりました。

キチントした所で開けてこようか、かなり迷った末に道具とセットで
買うと安いので、お母さんが開けることを安請け合いしたようです。
「痛いのは私じゃないは」・・こんな感じだったようです。

所がいざと成ったらそうは行かないのがものの常です。こ一時間
シュミレーションをしても、手が震えてどうしても出来ない状態に
成ってしまいましたら・・

業を煮やしたお嬢さんが、怒り出して「お母さんて案外意気地なしなのね」の、一声
に「良いわよ遣って上げるわよ!遣れば良いんでしょう!!」こうなると腹が据わった
お母さんは怖いです。何しろ産みの苦しみを経験しているのですから。

耳に穴ぐらい開けてあげるわよと言ったと思ったら「パチン」とやって開けてしまったそうです。一つ開けてしまえば、後は怖い物知らずです。簡単にもう片方も難なく開けてしまったそうですから。

彼女は、おっとりした優しいお母さんで娘の良いお友達なのですが、いざとなると思い切りのいい人で中々面白い人です。「だってね。お腹を痛めた子ですものそんなに簡単に出来るはずは無いでしょう穴でもずれたりしたらどうしようか、こっちだって悩んで居るのに親の心子知らずで」頭に来たそうです。

本当に親は一生親を辞められないのです。昨日出掛けた車の中でのお話でした。

「耳たぶで母は強と思いきや産みの苦しみ邪魔をしてくる」


[ 更新日時:2005/03/29 09:37 ]

12:14 | つぶやき | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

42才は扱い難し

先日の入院で「ステロイド剤」を沢山使ったので体毛が濃くなって
いることは承知していましたが、眼鏡を掛けて鏡を見て鼻の下が
こんなに成っているなんて眉もぼさぼさです。。ショック!!

娘に電話して「顔」を剃って欲しいと頼みましたところ顔は剃る
けれども眉は剃れないと言うのです。頭に来た私は「ガチャン」
と電話を切ってしまいました。「髭」は眼鏡を掛ければ幾らでも
剃ることは出来るのですが眼鏡を掛けて「眉」は剃る事は出来ないのです。

落ち着いて考えてみれば近くに越してきてから便りにしている自分に気が付きました。
離れていればさほど気になることでもないのです。是からは在る程度の距離を置い
て付き合っていく知恵を身につけないといけないことに気が付き反省致しました。

先人は旨いことを言ったと思います「親が思うほど子は親を思わない」・・此方が
老境に入る頃は、子供は自分の子供の子育てで忙しいのです。思わない訳では無い
のでしょうが、時間的に出来ない時期に来ているのでしょう。私は母に対してどう対処
していたのかと思いました。

暫くして孫が飛んできました。「私が遣って上げるから」と上手に眉を剃ってくれました。
年寄りですから、人が見て見苦しくなければそれで良いのですから・・詰まらない事に
腹を立てたことを反省した朝の出来事でした。

「腹立てて勝てないことを知りながら何故か腹立娘と諍い」

夕方ご飯食べにお出での電話でいそいそと娘の家族と食卓を囲んでお風呂に入ってきました。親子とは良いものですね。
[ 更新日時:2005/03/28 08:46 ]

11:49 | 娘と私 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

親の目

明治生まれの母は臨機応変の効く人だったと思う。
明るくて面白い人でした。

口癖の一つに「わたしゃぁね。嘘と坊主の頭は結った
事はないよ」でした。

私に言わせればこれがそもそも嘘でした。子供の時は
騙せても、少し大人になってくると此方も気が付きます。

そんな時の母は「嘘も方便」で逃げ切ります。
こんな大人の世界を見せてくれたのも大人になってから頷けました。

何かと矛盾している世界が大人の世界です。今は、春休みに入って孫達が遊びに
来ますと日々矛盾との戦いの世界に生きている様子が、良く解ります。

「勉強しなさいと言う割りにはあれもこれも用事を頼んでいるママは何を考えているの」
と一頻りこぼして帰ります。今の子供達は、家庭のお手伝いは苦手のようです。私は、朝晩の自分の仕事が有りましたから、家の用事は当たり前と思っておりましたが、今は違うようです。

この物が豊かな時代家庭生活も大きく変わって主婦の仕事が、楽に成った分だけ大変そうです。主婦が「専業主婦」で居られなくなったからです。そのしわ寄せが、子供に
来ているのでしょう。勉強は塾でお稽古事は増えるばかりで子供も大変です。

母の口癖も今は通用致しません「スキンヘット」の時代が来て、おしゃれとして認められているのですから。。。私が無事に大人に慣れたのも早くから世の中の「矛盾」を母が気ずかせてくれたお陰だと思って感謝しています。

何時の時代でも、子供は大人に早くなりたいと背伸びして生きているのは同じなのですね、私も早く大人に成ってみたい時期がありましたから「嘘と坊主に」騙されて。。

「騙せても子供の目には見えている大人の世界裏と表が」



[ 更新日時:2005/03/27 09:49 ]

11:54 | 母と私 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

きせるとらおやさん

私の記憶のなかのおじちゃんは、何時もきせるで
美味しそうにたばこを吸っていた。実に手つきが
良かったのが今は妙に懐かしい!!

昔は「刻みたばこ」「ゴールデンバット」が安かった
のだろうか、腰に何時もたばこ入れがぶる下がっ
ていた根付けは象牙の般若のお面を彫ったのが
着いていたのを良く覚えている。おしゃれな人だった。

一服するときに実に手際よくたばこをキセルに詰めるのを見ているのが
好きだった、早く大人になって一度遣ってみたいと子供心にも思ったこと
がある。次の火種は手の平にポンと落として転がしてその間にキセルに
たばこを詰める手際よさには、憬れさえ感じていた。

らおヤサンは、実にタイミング良く回ってきてくれる伯父は普段は自分で
「雁首」を焼いて脂を出してこよりで掃除をしていたが、時々らおヤサンの
お世話になっていた。

リヤカーに綺麗な屋根が着いていて、小さな引き出しには「色とりどりの竿」
や「高そうな雁首」や「吸い口」そして私が一番欲しかったのは細く綺麗に
縒ってあった「こより」此は綺麗だった。竹の筒に沢山ささていた。

ぴーぴーと煙突から煙を出してやって来るらおヤさんは遊ぶ玩具の無かった
子供達が、一番のお客様だった.おじいちゃんやお婆ちゃんに頼まれて持っ
てくるから、らおヤさんのおじさんも時々飴などを呉れたりした。

キセルのお掃除を見ているのが楽しかった。火で雁首を暖めて吸い口からこよりを
入れて何度も何度も同じ事をやっている。時には、竿を外している事もあった。
焼けたりして汚い竿は新しいのに取り替えるからだ。

何人かで着いて歩いていて、迷子になって送って貰って帰って来たことがある。
夕焼けの中をおじさんが色んな話をしてくれたのが懐かしい。それは絵の様に
綺麗な吉原の花魁の話でした。意味は分からないけれどもキセルの使い方は
色気があると言いたかったのだろうと今思う。

あるサイトにお訪ねして「キセル」という言葉から思い出したお話ですが。
TBさせて頂いても良いのですが・・

「紫の煙ゆらゆら阿呆草もえる春の日三尺の板」
[ 更新日時:2005/03/25 11:48 ]

11:56 | つぶやき | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

明るく強い人達・・闘病記



病院のラウンジからはお天気が良ければ、富士山がと
ても綺麗な姿で見る事が出来ます。

朝ご飯前の一時をそこで寛ぐのが患者さんの楽しみ
なのです。富士山を眺めながら熱いお茶を頂いて、
今日の自分を見つめる時間でもあるのです。

誰からともなく色々なお話が伺えます。皆さん淡々と話されるのです
が、かなりショキングなお話に返す言葉が見つからない思いを致しました。

63歳の男性の方が、ガウンの内ポケットからなにやらロケットの様な物を出されて私
になんだと思いますかと聞かれましたので、さぁ〜何でしょうか・・「抗ガン剤ですよ」・・
でも点滴がはいっておりません。今一番最前線での抗癌治療なのだそうです。余命は
後一年とのこと、キチンと告知して頂いて、良かったことお子様がインターネットで調べた最新の治療を病院が認めてくれたこと。奥様が腰が抜けて一ヶ月寝込んで仕舞った
こと。ご自信も1週間は眠ることが出来なかったことなどをまるで人ごとのように、話されるので・・

強い人と思いきやとても優しい方で、3月10日の大空襲で死んでいたと思えば50数年長生きできたのだから、思い残すことはないねと笑って言われました。

私達戦中派は、こう言う強さがあるのです。「そうですね。こんな平和なときが来るなんて思っていませんでしたから」・・・でお開きにした朝でしたが・・何故か富士山が霞んで
見えた朝でした。

「我々は何故こうまでいたぶられ平和の時代を垣間見ていく」
[ 更新日時:2005/03/19 08:13 ]
17:45 | 難病日記 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

東海大八王子病院・・闘病記



私が、この地に越すに当たって一番心配だったことは、
自分の病気を診てくれる専門の医療機関が有るかどうか
でした。

たまたま開院一周年の一昨年に体調を崩し入院させて
頂いたのがご縁で、心臓血管外科の先生が気持ちよく
引き受けて下さいましたので、移り住むことが出来たのです。

そして昨年の1月15日再度の入院で、今年で3度目の入院になってしまったのでした。毎年では、流石の私も落ち込みましたが、看護師さんがそれは優しくて、居心地
が良すぎるのです。どんなに名医の先生が居りましても、入院となりますと、看護婦さんの意地悪には泣かされますから・・此処の病院は凡て何階の病棟に入院致しましても、看護婦さんがオールマーイテイーの教育をされておりまして、「ICU」から出てきますとどの階に行っても大丈夫なのです。

医療事故を防ぐために腕に生まれたての赤ちゃんのような腕輪がはめられます。
それは、退院するときにナースステーションで無いとはづして頂けません。
お薬も熱のある間は、飲み間違えのない様にその都度持ってきて下さいます。
点滴交換も二人で確認しております。

今は医療の現場が大変なときなのだなぁ〜と思ってしまいました。

看護婦教育が徹底しておりまして、一日の勤務が終わるときは、患者の処に交代の看護婦さんと挨拶に見えて下さいます。そして丁寧に「有難う御座いました」とご挨拶されますと、こちらが戸惑ってしまいます。

私が、心癒されたのは、点滴のはいるところが無くて手の甲から入れ居りましたので
朝の食事の時に、配膳されるお膳に熱い蒸しタオルがいつも添えられていたことでした
元気なときでしたら、何とも思わないことなのでしょうが、こんな些細なことが、心から
普通に出来る看護婦教育の素晴らしさに感心致しました。

ラウンジでの他の患者さん達のお話もみんな看護婦さんが優しくて素晴らしいと話しておりましたから・・・

「制服に誇りを持ちていそしむは若き乙女の誇りと自信」

(注)現在は看護婦さんではなくて看護師さんなのですが「看護婦」さんの方が良いので・・ここの病院では男性の看護師さんが沢山働いております。


[ 更新日時:2005/03/18 08:23 ]

18:00 | 難病日記 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑