病院の一日(空しさ)2005 / 04 / 30 ( Sat )
![]() 朝6時の起床に始まる付き添いの一日です。身支度の心配は ないのです着の身着のままで横になっているだけですから エプロンだけ掛ければ完了です。貸し布団屋さんから借りて いる布団を布団部屋(リネン室)の棚に仕舞いに行くのが 大変でした。ぼんぼんベットは畳んで主人のベットの下に 入れます。 清拭用のお湯を湯沸かし器から持ってきて、主人の身体を綺麗に 拭きます。かなり熱いお湯ですから、ゴム手袋をはめないと熱くてタオルが絞れまん。 馴れない内はこれが出来ませんでした。 口の中も綺麗に拭いて清潔にしておきませんと病人特有の匂いがしてきます。 意識がないのに口の中に指を入れますと、ぎゅと囓られて私の指は何時も傷だらけでした。鼻を摘まんでも気管切開をしておりますので苦しくないので口は開いてくれません。此が一番辛く情けなく思う一瞬でした。 ベットサイドを綺麗に整えて洗濯の順番を確保し、朝ご飯を急いで済ませます。 朝は簡単にパンで済ませておりました。付き添いさん専用の簡単な台所が有りまた。 50円入れますと魔法瓶一杯のお湯を沸かすことが出来ます。 そして朝の回診をまつのですが先生の回診を待っても何の変化もないのが心細さと疲労を倍になるだけです。 大学病院でしたので幸いなことに学食が有り助かりました。(夏休み中は学食はお休みで娘が家から運んでくれました)お昼をそこで済ませ」夕食の分も買っておくのです。寒い時期になりますと時には、温かな食事が食べたいと思いました。 午後は洗濯物を取り込み片づければなにもやることはないのです。 側にいて手足をさするくらいで昏々と眠る人を見て、100日以上の日を送ったのです。 マメにやらなければ行けないのが気管切開しているカニューレからの吸引でした。 9時の消灯間近に洗面所で自分の身体を拭いて就寝時間が来ますと休みます。 一週間に一度くらいの割合で近くの銭湯に行くのが唯一の息抜きでした。 夏も過ぎ秋も終わり肌寒い日が日増しに増してくる11月の半ばになってヤット意識が戻ったのですが。 廃人同様でしたタダ目が開いただけで手も足も硬直しておりましたから・・つづく 「眠る人タダ眺めてる日々なれど普通に起きる気がして観てる」 |
酷すぎます2005 / 04 / 29 ( Fri )
時期的に言って今頃だと「クシャミ鼻水鼻づまり」は
ないのですが、今年は一向に治まる気配がないの です。山椒の新芽が伸びてきたので堅くならない 内に早く摘んで佃煮にしておこうと思い朝一番で 摘み始めたのに積み終わると同時にクシャミやら 鼻水やらで夕方まで悩まされました。 夕方雨戸を閉めた時点でヤット治まったクシャミが又出て来てもう-- 我慢の限界なのですが、誰に言ったところで解決が付くはずもなくこの状態が何時まで続くのか憂鬱です。 こんな記事が目に付きましたこちらです。 お掃除をしたくても開け放すことも出来ずに、すっきりとしたいのに・・玄関の扉が花粉で黄色くなっていますが、今お掃除したところで、許の黙阿弥に成るだけですからそれも我慢なのですが。 昨年は,何事もなく今頃は朝早く起きて、庭仕事を済ませて美味しい朝ご飯を頂きお決まりの連続ドラマを見ながら一休みして。 お掃除を済ませ買い物に行くか保存食作りに精を出すかしておりましたのに・・ 今年は。アレルギーを抑える薬を飲んでおりますので、頭がボートしてまして何かやる気力がないのです。 このままになってしまったら・・どうしようかと不安になります。せめてブログだけでも キチント更新しないと。 この所やたらと春先の風が吹いて余計に悪いようです。あと少しの辛抱なのでしょうが・・イライラが募るばかりで気分的にも落ち込みます。 早くすっきりとした生活がしたい今日この頃です。 近くの山々も都道のケヤキ並木も緑一色になり爽やかな五月の空が直ぐそこまで来ておりますのにまだまだ檜の花粉は跳び続けるようですね・・・ [ 更新日時:2005/04/29 07:48 ] |
大工と雨2005 / 04 / 27 ( Wed )
朝早くに息子から電話が有った。雨が降っているという此方は今にも泣き出しそうだが降る気配はなさそうだと返事をする曇ってはいるけれども・・息子の方は降り方が夕立のようだという。困っている様子だがどうしてやることも出来ない。
昔から「大工殺すにゃぁ刃物は要らぬ雨の三日も降ればいい」と言われているように、材木を運んで来ないと仕事にならないらしい・・お昼頃には晴れてきたらしく怒って電話を掛けてきたが私が雨を降らせたわけではないので返事に困る。 トラックの手配が旨くいかないらしい、雨なので違う現場に貸し出してしまったら晴れてきたので怒っているのだ。男の子は難しいからこんな時にウッカリした返事はしない方が賢いのだ。 ウッカリしたことを言えば火に油を注ぐような物で余計に怒るだろうから・・いつまで経っても親には言いたいことばかり言ってくる。オイオイ・・もういい加減にしてよ・・良いおじさんなんだからと思うけれども・・ 聞いて揚げるだけで気持ちが治まるのなら聞くくらいは幾らでも聞いて揚げられるから・・親は死ぬまで親を辞められないのだとしみじみ思うのでした。何時になったら 大人になるのやらと思いながらも、性格を知っているだけに可哀想にもなってくる。 キチントしないと嫌で、几帳面で予定通りに行かないのが嫌なのだが、自然が相手ではこれはもう致し方ないのだが、昨晩徹夜で図面を書いたのに・・と・・話している内に気持ちが治まったのかご免と言って電話を切った。 暫くぶりで、親元に来たので、子供に戻ったようだこんな事は普段はないのにと可笑しいやら可愛いやら変な気分の一日でした。 「世知辛い世を背に働く男達こぼせる愚痴は吐き出せばいい」 [ 更新日時:2005/04/27 07:55 ] |
病棟風景・・様々な人々(困惑の日々)2005 / 04 / 26 ( Tue )
![]() 脳神経外科と形成外科の混合病棟だったこの病棟には、色々な 人が入院しておりました。元気なときは感じないで済むことも、 身体も心も疲れておりますと些細なことに神経がビリビリして おります。 同じようにご主人の看病をしている奥さんで長い入院生活らしく 看護婦さん始め先生方と親しく話せる方が何かと良く教えて下さるのですが、優しいのか意地悪されているのか此方が困惑するばかりで困りました。 重傷患者が多い為に家政婦さんが沢山付き添いさんとして働いていた病棟でしたので、何かにつけて意地悪をされて悲しい思いを致しました。 まして重傷患者でしたから、家政婦さん達が良く覗きに来ました。彼女達はみんな個室の付き添いさんですから綺麗な部屋にテレビが付いてロングのソファーが有って何時でも横になれますし、一通りの事をやってしまえば後は呑気な物でした。 リカバリ室でしたので、此処にいる限りは座る事は出来ないのよと古くから居る人に言われますと一日立ち通しで足は棒のように腫れ上がり夕方には、歩く気力もなくなるほど、重たい足を引きずっておりました。 主人の看病に慣れない上にこんなに凄い人と同じ部屋になってしまって果たしてやっ ていけるのかしらと心細くなるばかりでした。余りの酷さに主任さんが気が付いて下 さいまして。よその病室にその方を移して下さいました。 彼女も脳腫瘍のご主人を抱えて何年も入退院を繰り返している気の毒な方でしたから。ストレスから来る意地悪だったのでしょう。人間は何処かではけ口を見付けないと 身が滅んでしまいますから、それにしても私でなくても良いのに・・ 所がお部屋が変わると人が変わったように優しく良い人に変身したのです。やはりカ ーテンも引く事も出来ない丸見えの部屋にいることの辛さが耐えられなかったようす。 何かと良く教えて下さいましたし良く面倒を見て下さいましたので、私も看護のノウハウを身に付けることが出来ました。今私が元気な身体でしたら看護のお仕事が充分出来ると思います。つづく 「安らげく時を持てない悲しさに心ないことしてみたくなる」 |
福知山線の事故2005 / 04 / 26 ( Tue )
いつもの様に何も考えることなく、信じて乗っていたのでしょうに・・
家を出るときには数分後にこの様な事故に遭遇するとは誰が 思っていたでしょうか・・ 家の前の方も義弟さんと連絡が取れずに一日気を揉んで過ごし ていた方がおりました。夜遅くに連絡が取れてホットしたそうです。 普段当たり前に疑うことなく身を委ねて乗っております乗り物が こんな恐ろしい事故を起こすことを誰が想像したでしょうか。 あの忌まわしい「サリン」事件の時我が家のお婿さんがあの電車に乗っておりました。 あの日に限って、運動のために一駅歩こうと思い一つ手前の駅で降りたために難を 逃れることが出来ました。 事故に遭われた方達を紙一重の運命の悪戯として片づけて仕舞うにはお気の毒すぎます。ニュースを見ておりますと、拙い知識ではありますが、人災のような気がして成りません。 お怪我をなさいました方々の一日も早いご回復をお祈りすると共に、不幸にして尊い 命を落とされた方達のご冥福を心よりお祈り致します・・合掌 |
新緑の季節が来ました2005 / 04 / 25 ( Mon )
![]() 椿が遅まきのシーズンを終えて新芽が吹き始めました。 私が花粉症を良いことに庭の手入れを怠っている間に 山椒は新芽が目吹き早く摘んで佃煮にしておかないと、 堅くなってしまいます。 朝起きてPCを開けますと娘から永いメールが来ており ました。密かに私のブログを読んでいることは気が付 いておりましたから気にも留めませんでしたが、時の経つのは早いもので娘が主人の倒れたときの私の年齢に成っておりました。 光陰矢の如しです。本当に健気にもよく頑張って私を支えてくれていたと思います。遊びたい盛りの高校2年生でしたから、受験勉強で明け暮れるはずの夏休みがゼミにも通うことが出来ず幼い弟を抱えてどんな思いで過ごしていたのでしょうか・・ メールには、もし自分が今同じ様な憂き目に遭遇したら・・の思いが綴られておりました。家族は仲良く明るく楽しく生活していればどんな境遇に出くわしても路は自ずと開ける物です。あの時私が下ばかり観ておりましたらキット今の生活は無かったことと思います。 まだまだこれから書き続けなければなりませんが、どんな事態でも一つの信念を持っ て当たれば路は切り開かれて行くものです。人それぞれの定めの中で生きておりま すまさに我が家を襲った出来事は、阿修羅の如き出来事でした。 それでも神様は私達をお見捨てにはなりませんでした。試練は試練として素直にうけ止めるしかないのです。今此処に心穏やかな日を過ごしながら主人と過ごした日々を拙いながらも書き留める時間が与えられましたことを深く感謝致しております。 お暇なお時間が有りましたら、こんな家族がいて力を合わせて生き抜いて来た記録を読んで頂けたら幸いです。 此処高尾の里山にも新緑の季節がやって来ました。緑の中で大きく息を吸って明日に向かって歩き始めます。。つづく 「木漏れ日に心安らぐ日がありて遠き想い出筆にぞ託す」 |
衰え行く体力・・冷たい人達2005 / 04 / 24 ( Sun )
![]() 日に日に体力の落ちていくのが側にいて手に取るよう にわかる。人間が口からものが食べられなくなると言う 事は恐ろしいことだと思った。一週間の間に人が変わっ たように痩せこけていく姿は見ていて切なくなってくる。 体力の消耗と同時に出来てしまったのが床ずれでし た。各種機材が着いておりますので体位の交換が 出来ないのです。交感神経の損傷による自律神経の麻痺で身体の半分は高熱が出て、半分は冷たく冷えているような状態でした。 身体と顔は、首の所で交感神経が交差しておりますから。左右が反対の現象が起こります。生まれて初めて目にした光景でした。この様な色々な起伏の激しい状態で100日と少しの昏睡状態が続きました。 足蹴良くお見舞いに来て下さったのは、大学の時お世話になりました。研究室の先生でした何時も困ったことは、相談に乗るから心配しないようにと、研究室の直通電話を メモして置いていって下さいました。 その目が何時も愛弟子を見つめているときは、涙で潤んでおりましたことを忘れることは出来ません。その反対に近寄らなくなってきたのが身内でした。みんな口にこそ出 しませんでしたが早くキリが着いて欲しいと思っていたようです。 助かったとしても、何も出来ない人間は人として認められないのでしょうか・・悲しいで すが現実はそうなのです。何の力もなくなってしまった主人はもう誰も人として認めて くれないのでした。 病院の先生方もそうでした。救命できるか出来ないかの研究材料以外の何者でもな かったのです。自分たちの記録が取れればそれで良かったのです。その葛藤の中で の空しい看護生活は私の身体を病が徐々に蝕んでおりました。。つづく 「昏々と永久の世界をさまよえる愛しき人と夕日おつをみ」 |
一番最初にした・・経済の立て直し2005 / 04 / 23 ( Sat )
![]() 昏睡状態の続く人の側にいてなす術のないことくらい空 しいことはない。毎日会社の人が交代で病院に詰めて いてくれたのが唯一の力となりました。 今自分の身に何が起こっているのか、それが夢なのか 現実なのか眠ていても起きている時も何もかもが空し い日々だったような気が致します。 一週間ほどして我に返ったときに今・何から手を付けるべきなのか考えました。 幼い子供を抱へ何の特技もなく、これから先生きていくすべを何処に求めたら よいのか。 考えてみてもどこにも出口の見つからない洞窟には入り込んだようなものでした。 会社の総務の方にお願いして此からの我が家の収入の明細を作って貰う事に 致しました。 病院は一日の差額ベット料だけでも馬鹿になりません。10日事に来る請求書を見た だけで気が遠く成りそうでした。医療費は、保険本人でしたが保険外診療がかなりの額でした。 その他に大変でしたのが雑費でした。紙おむつは今のように良い物が無く看護婦さんは手当たり次第に簡単に棄ててしまいます。膀胱バルーンが入っておりましたから尿でおむつを汚すことはなかったのですが。 私が、一番最初にやったことは経済的にどう暮らしたら生活が成り立つのかと言う事 でした。病院と家庭との二重生活ですから・・それに子供の教育費の問題もありまし たので・・ 幸いな事に家計簿を長年つけておりましたお陰でお金の動きを把握出来ておりましたので一家の大黒柱が突然倒れたとき、世間はそんなに甘くはないのです。タダ主人の友人達がかなり力になって下さったことは感謝しております。 主人の再起不能が決まりましたときに一番最初に逃げ出したのは誰だと思いますか・・つづく 「頼る術持たぬ我が身に吹き荒れる嵐のごとき時の流れて」 [ 更新日時:2005/04/23 15:47 |
再びの昏睡状態・・100日2005 / 04 / 22 ( Fri )
![]() 主人が朧気ながらも意識を戻したのは、この病院に移 って3日目でした。私と娘の顔が分かり、目が正常に 戻りどうやら見えているようでした。 気管切開をしていることを本人は知りませんから、 真剣に喋ろうともがいているようでした。それに気が 付いた看護婦さんが先生を急いで呼びに行きました。 飛ぶようにして来た先生方は直ぐにストレッチャーに主人を乗せてCTスキャンを撮りに高速エレベーターで下におりて行きました。 待つこと一時間余りして戻ってきた主人は、意識が無くなっておりました。CTに使う造影剤は今と違います。頭の中の撮影ですから、頭の中にガソリンをまかれて火を付けたような検査には、体力が落ちている人にはかなり厳しい検査だと思います。 私が、自分の病気で同じ検査をした時に頸動脈だけでも、一瞬意識が無くなりました から・・ヤット意識が戻ったのに、なぜ静かに見守っていては呉れなかったのでし ょうか・・ 脱兎の如く飛び込んできて、家族に何の説明もなく承諾書も書くことなくこの様な医療行為が平然と行われていたのです。現在なら医療裁判物だと思います。 これから約100日以上の昏睡状態が続くのでした。子供達は夏休みもなく、娘は私のお弁当を届けに毎日病院へ息子には一瞬にして両親を失って仕舞ったような悲しい長い夏休みでした。 ただ昏々と眠り続ける主人の側で慣れない看護と病院での生活で私の髪の毛は見る間に白い物が増えました家のこと、子供のこと、主人のこと、一度に起きたこの事を、 どうやって凌いで来たのか無我夢中でした。 今仕事で息子が来ておりますが、この子が一人前になってくれたことは、夢のようです・・仕事から帰り楽しそうに、一杯やっている姿を見ますとよくぞ此処まで来た物だ と思わずには居られません。。つづく・・ |
気まま2005 / 04 / 21 ( Thu )
独り暮らしの習慣が付いていると例え息子であっても気
を遣う。自分の生活ペースが完全に乱れている・・ でなくて乱されている。 朝からご飯の支度もキチントして上げなくてはいけないし、 仕事に出掛ける迄は家のことが出来ない!!2.3日で ネオ上げていたのでは、居候が聞いたら怒るだろうなぁー 洗濯物は、仕事着と下着類は一緒に洗うわけにはいかない・・二度手間だぁー それは何とか我慢できるとしても、お昼にご飯を食べに来るのが忙しい・・ 私は、貴方のお嫁さんではないのよ・・と言いたいところだが・・そうもいかない。 何でこんなに近い所で仕事なのだろうか・・Kさんの家では断る訳にもいかないし・・ まぁーどっちにしてもやるきゃないのだから、黙ってやる方がお利口さんなのかも・・ 夜は、時々ちびりちびりとやりながらTVを見ている。職人さんだから気むずかしい 所がある。 彼方サンもかなり気を遣っている様子が見て取れるからマァー良いとしよう・・と。 早く工事が終わらないかなぁ〜〜 [ 更新日時:2005/04/21 00:41 ] |
ご機嫌斜め2005 / 04 / 19 ( Tue )
パソコンとトラブルは付きものらしいのですが、どうして解る人が居
るときにはお利口さんで、帰ってしまうとゆう事を聞かなくなるので しょうか・・ chibisaruさんに教えて頂いたフォトショプをやってみようと思いまし たら。肝心のソフトが動いてくれません?昨日まで動いて居たの に何故なの・・ 最初はパソコンの故障かと思いウインドウズの起動から、丁寧に見てみました。 そして入れて或るソフトを一つずつ起動させてみたのです。矢張り肝心なソフト が動きません。 スキャナァーで写真を取り込もうとしてもプリンターにエラーが出てしまいます。 コピーは出来ます。印刷も出来ます。プリンターの故障では無いようです。 近所のS君が見て下さると言うのでお願いしましたら、原因が分かれば直すのは 簡単なのがパソコンなのだと教えてくれました。それにしても何処から見たら良い のか理解できない私には、手のつけようが有りません。 私のソフトと孫がタブレットを使うために入れたソフトが喧嘩した為に起きたトラブル だそうです。ソフト同士で喧嘩することを初めて知りました。あぁー何とパソコンの 世界は広いのでしょうか。 PCが出来ると言っても入力することしか出来ない事を情けなく思いましたが、 この年で勉強出来るほど優しい物でもなさそうですので。分かる人にお世話 になって、楽しくパソコンを使えるように其方のお勉強に励みたいと思いました。 この花粉症の季節を無駄にしないように、出来ることから一つずつ覚えていく事 が出来たらパソコンの世界がまた広がると思います。そしてブログを楽しく書く ことが出来たら良いなぁーと思います・・皆様にお世話になって・・ [ 更新日時:2005/04/19 00:12 ] |
花粉症2005 / 04 / 17 ( Sun )
今年の花粉が予想以上に凄いことを実感しました
先日お天気も良くて暖かかったものですから、 前から行きたかった。美容院に行きました。 風もなく穏やかでしたが装備万端整えて出掛けて行きま した。髪の毛をカットして頂いている内に、クシャミ・鼻水・目の痒み。 我慢していたのですが、すいませんテッシュ下さい・・小綺麗な美容院で加湿器も 有りますのに??カットは中休みの状態でした。眼鏡。マスク。帽子と完全装備で 行ったのにーーどうしてなのォー 原因が分かりましたタオルでした。首に巻かれたタオルがいけなかったのです。 先生が天日に干していたのでした。タオルには一番花粉が尽きやすいので、 まさかマイタオル持参と言う訳にもいきませんので・・ 家に帰って来ても止まりません。仕方なく早めに夕食を済ませ薬を飲みましたが、 直ぐに聞くわけでもなし・・泣くに泣けないお話です。 この騒ぎはGW開けまでとか、大きな物のお洗濯が出来ませんから、冬物が片づ きませんお掃除も皆中途半端で家事が押せ押せです。梅雨前の五月晴れの間 に四捨五入で済ませている家事が片づいてくれると良いのですが。 早く終わって欲しいと付く尽く思いました。花粉をまき散らしている山々には早くも 山桜がほころび始めて穏やかなうす桃色に染まり周りの木々も新芽が吹き始めて、 淡い緑に変わろうとしておりますのに・・ この良い季節を何でこんな想いで過ごさなければ成らないのか情けなくなりました。 今年最後の愚痴で済みますように・・ [ 更新日時:2005/04/17 11:02 ] |
苺の皮2005 / 04 / 16 ( Sat )
昨日ブログの中を徘徊しておりましたら何人かの可愛い赤ち
ゃんに出会いました。ブログの画面を開くと同時に目が合っ てニッコとされますと・・もう駄目です。ヘロヘロになってしま います。 そして苺が大好きなシューマ君のお話を「人生は短いぜ」さんで 読ませて頂いている時娘がまだ小さかった頃の事を思い出しました。今は大きな子供のお母さんですから大分前に成りますが、何故か苺の出回る季節になると思い出します。 少し小さく産まれましたので、食が細く食べさせる事に大変な努力を致しました。 苺が大好きでしたので、苦しい家計の中から(その頃は苺は高かったのです)無理を しておりました。食べるものは、何でも良いから食べてくれれば良かったのかもしれません。 或るお天気が良い日に何をしているのかと思いましたら、一粒の苺をお日様に当てて 透かして観ておりましたが。これ毛が一杯生えているし種もあるから皮を剥いて頂戴 と言って持ってきたのです。 そうです。確かに苺には産毛が沢山生えておりますし、種もあります。彼女の言う事 には間違いはないのですが。苺の皮は剥くことは出来ません。さぁーどうしようかしら・・ あんなに喜んで大好きだった苺なのに、間違ったことではないし筋は小さいながらも 通っておりますので考えてしまいました。ここでもし私が無視したらどうなるのかが 怖かったのです。 皮を剥いて見せました。苺は観るも無惨な姿になったのは想像が付くことと思います。 そして剥いてない苺と並べて彼女に見せましたら。剥いてない方を選んで綺麗と言っ てくれた時はホット致しました。 幼い子供の発見に戸惑いながらも、育児の醍醐味は忘れることが出来ません。 出来ることならこの時間のある今育児をして観ることが出来たらなぁーと思いました。 [ 更新日時:2005/04/16 00:01 ] |
夕焼けこやけで・・闘病記2005 / 04 / 14 ( Thu )
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校則やぶり2005 / 04 / 14 ( Thu )
未だ息子が高校生の頃バイクの免許を取っていたのだから多分
2年生だったと思う。ある日玄関のチャイムで出てみると、宅急便 のお兄さんがやけに大きな物を持って立っていた。 「A・Sさんは此方ですよね」「そうですが」「では此に印鑑を下さい」・ 観れば長い何だか訳の分からないやたらに大きな物が頑丈に梱 包されている。不審がる私に、「バイクの部品みたいですよ」「要ら ないです。送り先に返品して下さい」 玄関でのやり取りでした。どうやら息子がモーターマガジンか何かの雑誌の懸賞に 応募して当たったらしいのです。お金は払えない旨を承諾して頂いて品物を受け取 りました。 重いはがさばるはで部屋まで運び横にして置いても長いのです。私の背丈より少し 短いくらいでした。やがて帰ってきた息子にこんな物が来ていると言いますと、 飛び上がって喜びました。 「まじで・ホントかよ」荷物を解いてみますと出てきました。大きなバイクのマフラー が・・もう抱いて寝たいほどの喜びようでした。此で済めば良かったのですが次の 日からが大変でした。 大きな体の男の子が、ぞろぞろと息子と一緒に現れるのですから・・狭い団地の 部屋はカラス軍団の襲来で床が抜けたらどうしようかと思うほどでした(笑)父親 の消えた寂しさを忘れる事が出来た一時でした。 何でもとても息子のバイトでは買えない欲しいマフラーのようで友達からも、羨望 の目で見られて土。日に掛けてチュウニングするとかで何人かの友達が来るとの こと「飯は頼める」・・ 所が学校の先生が、「学校でやれよ手伝ってやるから」なんとバイク禁止の学校 なのにです。楽しそうに出掛けていって素敵なバイクに変身させて息子は晴れ晴れ とした顔で帰って参りました。優しく接して下さった先生の家をリーホームさせて頂 いたのは息子でした。 [校則の厳しさのなか金八が居て世を生きるすべ身につけており」 [ 更新日時:2005/04/14 07:52 ] |
白血病2005 / 04 / 13 ( Wed )
一つの命を守るために何が出来るのだろうかと思うことがある。
団地に住んでいたときに、息子の友達が或る日転んで足に大きな 青あざが出来たのでした。 そのまま気にも留めないでいたお母さんはお風呂上がりの彼女を 観てアザが異常に大きくなっている事に気が付いて病院に連れて 行った所が運の悪いことに良い結果が出ませんでした。 同じ幼稚園に通っておりましたのでお母さんから相談を受けた時に何が出来る だろうか皆目見当が付きませんでした。下の階の奥さんと(同じ幼稚園でした ので)二人して先ず自治会事務所に行って力になって欲しい旨を伝えました。 2500所帯或る大きな団地ですから・色々な方が住んでおりました。 夕方には元自衛隊にいた方が飛んできてくれまして相談に乗って下さいました 時は、感謝の気持ちで一杯でした。 直ぐに連絡を取って下さって入院しいる病院の近くの隊から交代で献血にいって 下さるとの嬉しい知らせが入りましたときは、我が事の様に二人して喜びました。 人は一人では生きられないのです。お互いが助け合って生きてこそ人生だと思います。 お陰様で、あの時の彼女は元気になりまして結婚をして今は2児の母です。 懐かしい電話から思い出したお話ですが、これも一つの人生模様かも知れません。 無理せず助けが欲しいときは、大きな声を上げる事も大切なのではないでしょうか・・ 「花冷えの宵に掛かりし友の声過ぎし事などブログのネタに」 [ 更新日時:2005/04/13 10:10 ] |
中華ちまき2005 / 04 / 12 ( Tue )
朝早くの地震で目が覚めました。例年ならこの時間帯
には当に起きて庭仕事に精を出しているのですが、 今年は花粉が酷いために薬を飲んでおりますので 眠くて目が覚めないのです。 未だ息子が高校生だった頃一度大きな地震が有りま した。学校から帰ってきて「中華ちまき出来てる」と 言いますから・・「うん・出来てるわよ」と私「矢っ張り地震だったんだねぇ」・・そうなんです地震があると何故か「中華ちまき」を私は作るのでした。 30個位一度に作ります。そうしますと気持ちが落ち着くのです。「これで大丈夫非常食が出来た」と思うからだと思います。冷まして冷凍庫に保存しておきますと安心するのです。 お腹を空かして帰って来た息子は、出来立てのちまきを美味しそうに食べながら「どう して何時も作るの」と怪訝な顔で聞いてきます。何もちまきでなくても好いのですが・・ 「中華ちまき」は餅米で作りますのでお腹の持ちも良いですし、お肉が入り、野菜類が バランス良く入って居りますので、ほぼ完全食品で有るのと冷凍しておきますと、解凍 しただけで食べることが出来るからです。 今は一人暮らしですので作りませんが、こんなに頻繁に地震が有るとすれば又作ることになりそうです。ライフラインの普及までは出来るだけ、個人で出来る備えをしておかなければならないでしょうから。 明日にでも作ることに致しましょう。久し振りに作るので保存食には成らずにアット言う間に食べてしまいそうですが。「備えあれば憂いなし」ですが、果たして持ち出せるか どうかが問題です(‥;) 「懐かしい味を地震で思い出し被災した人しのぶ一日」 [ 更新日時:2005/04/12 13:58 ] |
勿体ない話し2005 / 04 / 11 ( Mon )
私が住んでおります八王子市では昨年の10月からゴミ
が有料になりました。古布の回収は月に一度ですから 季節の変わり目には、山のような衣類がゴミ置き場に 出されております。 中には未だ充分着ることが出来そうな衣類が目に付き ます。戦時中の物資のない時代に育ちました私は、 極力布きれは出さないようにしております。出来る限り 最後まで使い切るようにしておりますが。 今の時代「勿体ない」は「死語」に近くなっているような気が致します。お金さえ出せ ば何でも手には入る時代ですから・・同じに考えることがいけないのかも知れません。 このままこうゆう時代が続くとも思えないのです。この所原油の値上がりで少しずつ ですが物価が高くなり始めております。心して生活しないと又オイルショックに近い 状況に成ったとしたら・・ 物のない時代は、セーターは編み直して着ましたし、着物を解いた糸で雑巾を縫い ました。そこまでとは言いませんが、もう少し物を大切にした暮らし方を考えてみて も良いかもしれません・・ 私は,せっせとリーホームに励んでおります。ジーパンは下さる方がいれば古いの は頂いてバックに作ると丈夫で使い安いのが出来ます。もし失敗しても残念がらず に済むところが布切れ遊びの良いところです。一手間掛けると中々良い物が出来 ます。 「勿体ない」を口に致しますと、若い人に嫌われますので黙っておりますが、物には 皆命が通っているような気が致します。最後まで大切に使い切って上げたい物です。 勿体ない事をしないで・・ 若い頃から「婦人の友」を愛読書としてきた私には自由学園の「羽仁 もと子」先生の「家庭は質素に社会は豊富に」の精神が宿っているのかも知れません(^^) 「生きるすべ教えたまいし道標老いても消えぬ灯りとなりて」 [ 更新日時:2005/04/11 18:23 ] |
入院生活その1・・戻り掛けた意識2005 / 04 / 09 ( Sat )
![]() 主人の病室は、ナースステーションの前の「リカバリー」 室でした。廊下を通る人には丸見えですカーテンは有る のですが急変したとき困るから引かないようにと言はれ 廊下を通る人が皆覗いていきます。 丁度廊下側でしたので嫌でも観られてしまいます。 本人は意識がありませんが私と娘には、耐え難い ものがありました。中には立ち止まって覗いていく 心ない人もおりました。まるでさらし者です。 「スパゲッテイ」状態と言う事は聞いておりましたが、本当に管だらけでした。助かる見込みが有りませんので[ICU]には入れて貰えませんでした。首の静脈から管で点滴を入れ、手から輸血をして、鼻からは「酸素吸入」です、胸にはモニターが付いて本当 に管だらけの状態でした。 夕方まで割合と安定しておりましたので、気管切開をしてそこから「酸素」を取り入れることになりました。人手が無いので「カニューレ」からの吸飲は、家族の人がやって欲しいとのことでしたが、私は怖くてとても出来ませんでした。「これをやらないと死んじゃうのよ」の言葉に娘が「私がやります」・・ 大学病院でこんな事で良いのかしらと思いましたが、相手は、助かればそれで良し駄目で当たり前の態度がそこかしこに見えたものですから、娘と二人で付き添いながら 泣きました。全然眠くなかったのが不思議でした。 全神経が麻痺しておりますから、瞼を閉じることが出来ないために、目が充血して真っ赤に成ってしまいましたので、ガーゼを濡らして目の乾燥を防ぎましたが、目に黒目がないのは異様な感じでした。麻痺のために眼球が目の中心に来ないのです。 初めて見た全身麻痺の人の状態でした。家を出て数時間後の姿がこんなにも酷いと は思ってもおりませんでした。こうして3日か目に主人が意識を取り戻したのでした。 奇跡的というか、身体は麻痺しておりましたが、目もしっかりしておりましたし、私達に対しての反応が有ったのです。このまま動かさないで静かにしておいて呉れたなら不自由ながらも人間らしく生きられたでしょうに・・・つづく |
春です病院も研修生で・・闘病記2005 / 04 / 08 ( Fri )
![]() 5日に退院後初めての外来に行きました。流感の季節が済んだの か院内が静かな感じでした。 その中を紺の制服のお嬢さん達が、ネームカードを胸に付けて、 沢山来ておりました。看護婦さんの研修のようです。スーツ姿 のお医者さんの卵さんも沢山居りましたみんな何処か緊張した 面持ちでネームカードが胸に揺れておりました。 呼吸器科の方は、胸が綺麗になっておりましたので、先生のご機嫌は良く花粉症の季節を無事に通り越して下さいとのご注意を頂いただけで済みました。親切に目薬も出して下さいましたので眼科に寄らずに済みました。感謝です優しい先生で後一月の辛抱だから無駄な外室をしないようにとのことでした花粉の飛散量が異常だそうです。 心臓外科では、診察室に入ってから急患で少し待つ間に看護婦さんが心臓の模型を観ながら色々説明して下さいました。先生の机の上には、色々な模型がありますので、面白いです。心臓の中まで観ることが出来ます。私の病気に付いても教えて頂いて、段々企業秘密が明るみに出ていく面白さを感じました。 先生は矢張り身体のむくみが気になるようで先の入院で連絡済らしく「血液検査」が異常ないから心配ないと思うけれども、「利尿剤」を飲むようにと(これは自己管理でむくみが酷いときだけ)にして下さいとのこと。序でに「カルウム剤」も下さいとお願いしますと、先生は僕と場所を変わらないと言って笑っていました 今までお世話になった先生方が、皆さんお仲間なので気楽にお話が出来ることと以前の症状を把握して居て頂けることは、患者冥利に尽きると思いました感謝です。 帰りの車の中で娘が大きな病気はしても良い先生に恵まれて幸せだねとしみじみ言っておりました。 [ 更新日時:2005/04/08 05:35 ] |
なさぬ仲2005 / 04 / 07 ( Thu )
お彼岸にお墓参りに行ったのにこの頃良く母が夢に出
てくる何故だろう。気にはならないけれども、チョットば かり考えてしまう。気の強い人だったから・・ 私が未だ多感な年頃の頃些細なことで、夕方母と喧嘩 になった。ハッキリとは思い出せないが多分夕方の掃 除の仕方が気に入らなかったのが原因だったと思う。 古い農家で、やたらと廊下は広くて長いのですから、春先の北風の季節は雑巾掛け が大変なのです。開け放して有りますので、砂が舞い上がり掛けても掛けても白い 筋が出来るのです。 子供心にも我慢の限界が来たのでしょう。縁側から裸足のママ飛び出してしまいました。当たりはもうすでに夕闇が迫り薄暗く成っていましたから、母が心配して追いかけて来て呉れると思いきや、誰も知らん顔で腹を立てている自分が惨めに成るばかりで した。 近くに利根川が流れておりますし、一層の事飛び込んで死んでやろうかと思いました が出来ませんでした。4月とも成りますと、麦が背丈が伸びてその間に座り込んで居 りましたが、小一時間しても(そう感じたのは私だけで)そんなに時間は経っていなか った様です。 家の方からは、楽しそうな笑い声は聞こえてきても、誰も探しに来てくれない悔しさと 惨めさに討ちのめされただけでした。思春期にありがちな大人と子供の行き違いを 今孫で見ておりますと、私にも在ったこんな事を思い出しました。 結局自分ですごすごと家に帰った惨めさと、裸足で飛び出した足の冷たさが私の ささやかな抵抗でした。孫は、自転車でプチ家出をします時「携帯」を持って行き ますそれは親を期待しているからでしょう・・昨今の親子関係は優雅で羨ましいです。 「思春期の苛立たしさは経てきても思い出せない子育ての時期」 [ 更新日時:2005/04/07 07:25 ] |
今ではご馳走です2005 / 04 / 05 ( Tue )
先日のお花のお稽古帰りに手作りのお豆腐屋さんに寄る事が出来
ました。通りすがりにあるのですがお稽古が長引きますと立ち寄る 時間がないのです。 国産大豆で作るお豆腐はアイスクリームの様な味がして、品切れ になる事が良くあります12時に行ったのでは無い品物の方が多く てガッカリしてしまいます。「おからのケーキ」は良く焼きますので、 本当の目的は「おから」が欲しくて寄るのです序でにお豆腐の コロッケや湯葉揚げを買ってきます。 私達が買い物をしておりますと、娘のお友達も見えまして私が「おから」を袋に真剣 に詰めておりますと「ウサギの餌ですか」と聞いてきましたので、「いいえ、人間の 餌なのよ」と言いますと食べたことがないとのことでした。 どんな物か知らないそうです。やれやれでした・・「卯の花」は美味しいのに知らな いなんて可哀想に・・作って持って行って上げるわと約束したのです。 昨日作りました。「おから」は幾らでも暖かい新鮮なのが頂けますので良いのです が手が掛かります。色々な物を入れなければ成りませんので刻み物が大変です から娘は私に加工賃を払ってくれます(笑い)お豆腐屋さんでコロッケや湯葉巻き を買って持たせて呉れます。 このお店に寄るのは「おから」が目的なのです。今ではおからは中々手に入りま せんので新しい「おから」は魅力があります。取りに来た孫は、美味しいとつまん で食べて喜んで帰っていきました。序でOさんの家にも届けてくれる様頼みました。 食べてどう感じたでしょうか・・今度逢うのが楽しみです。 昔は、養豚場の人が豚さんの飼料に朝早くお豆腐屋さんに貰いに行ってました のにね・・今は手の掛かるお総菜に変身させるのも大変な時代なのです。 さてさて良いのやら悪いのやら・・ 「一手間はかけてもおいし母の味祭り太鼓が懐かしくなる」 [ 更新日時:2005/04/05 06:33 ] |
頭が追いつかない2005 / 04 / 04 ( Mon )
時間について考えたここ2.3日でした。「時は金なり」
と昔から言われております。一日は誰にでも公平に24 時間です。それをどう使うかは個人の自由です・・この 世知辛い時代にパートとして働けば一時間幾らの時給 が計算される世の中です 私が、この大切な時間を頂いてパソコンの勉強が出来 たことを心から感謝致しております。基礎知識が無くて 始めたパソコン生活でしたが優しい方々に恵まれて 一つ一つ知識として身に付ける事が出来た喜びは 何ものにも代え難い物です。 プリントスクリーンが出来るようになるまでには幾つかの手順を踏まなければなり ません。教えて頂いた記事を凡てプリント致しまして暗唱出来るくらい読みました。 プリント片手にパソコンとの格闘でしたがやってみたい一心で頑張りました。 頑張ることが出来ましたのも何度も何度も判らないでお訪ねしてもキチント気持 ちよく答えて下さる方達が居て下さったお陰です。年と共に衰えていく理解力 に共に歩んで下さる方が居て始めて出来たことなのです。この事を本当に感謝 しております。 これが出来れば便利ですよ、優しく声を掛けて下さった方・・判らない私に優しく 補足して下さった方々に対して心から感謝致しております。 大切なお時間頂きましたこと本当に有難う御座いました<(_ _)> [ 更新日時:2005/04/04 08:53 ] |
旅の空から2005 / 04 / 03 ( Sun )
「只今はこの冷ややかさ身に浸みてパソの前にて項垂れている」
(ブログが混み合っている時消えた記事) 「記事消えてどうにかしてよ叫んでも無料だからと諭されしころ」 (こんな記事を書いて自分で工夫しなさいと戒められた時) 「送信を送る手怖し直か書きの時こそ消えるブログ意地悪」 (メモのない時に限って消えてくれる・・) 「見ず知らず我に優しき若人多かりブログは天の恵みか」 (こんなお婆ちゃんにも親切に時間を割いて下さる優しさに感謝) 「新しき言葉覚えるブログにてあけおめことよろ年の初めに」 (チャットの子供の年賀状で知った言葉です) 「車にて中央道をば飛ばしいて雪冠りたる富士春近し」 (春が来ると、富士山は雪をかむるそうです) 「アルプスの霊峰拝み露天風呂昔の乙女今は無きかな」 (年です裸の付き合いでした) 「笠かむる富士の高嶺に夕日映え紅色になり乙女の如し」 (其れは綺麗でした。) 「高きから眺めたる町盆地にて豆粒ほどの幸せに見え」 (山の上の温泉から見た甲府の町の夕暮れ) 「ぽつぽつと点りし灯り星のごと天にも地にも降る如く有り」 (灯が入った家々は、星のように綺麗でした良い旅でした) [ 更新日時:2005/04/03 09:12 ] |
エプリールフール2005 / 04 / 02 ( Sat )
まだ私が団地に住んでいた頃近くに美味しいおそば屋
さんが有りました。同じ民謡の会に入っておりまして、 彼は津軽三味線の上手な人でした。良く私の伴奏を 引き受けて呉れたのも同年齢だったからでしょう^^ 或る先生のおさらい会の時に酔いに任せて聞いた話を 思い出しましたのも昨日がエイプリール・フールだった からです。団地がメインの商売やサンとしてはあり得る 話だと妙に納得した話でした。 男の子は、大人になる段階で声が変わって大人か子供か聞き分けられなく成る時期 があります。4月1日なので充分注意していたそうですが、見事に引っかかってしまっ たと話していました。お客商売の悲しさなのでしょう!!(彼の言いますのには、男の声が多いそうです)^^; お昼近くの立て込んでいる時に「引っ越しそば」の注文だったそうですから・・急いで届けると空き家だったそうです。団地は本当に分かり憎く神経がすり減るとのことでした。何処の家にも名簿が有りまして電話番号が載せてありますので・・ 一年で一番神経が疲れる日だそうです。注文の量が多いと疑って見たところで相手はお客様ですから聴き直すことも出来ず。相手の電話を聞くことも出来ない時代のお話ですが、今は表示されますから無くなって呉れると良いのですが。団地はカーテンの無い家をチェックして置く様にしているそうですが2500所帯も有りますと出来かねるそうです。まして転勤シーズンですから尚のこと困ると言っておりました 4月1日が月曜日が一番嬉しいそうですこのお店の定休日だからです。相手がおそばだけに泣いても泣き切れないと言っておりました。彼は東北青森は鰺ヶ沢の人です。 今でも時々娘達と食べに行きますと、とても喜んでくれます。フト思い出したお話でした・・昨日は無事だったでしょうか^^; 「悪戯も人泣かせでは困りもの携帯の世はなお怖いかも」 [ 更新日時:2005/04/02 00:07 ] |
万引き2005 / 04 / 01 ( Fri )
昨日いつものメーンバーで中央高速を飛ばして山梨へ行ってきまし
た。相模湖を過ぎた頃から雪を沢山被った富士山が綺麗な姿を見 せてくれました。中央道を走って富士山が見えないとガッカリしま す。なぜだか判りませんが。日本人だからでしょうか^^ お天気に恵まれて楽しい小さな旅でしたが、山梨で一躍有名に なりました。「ききょう屋」に寄りました時に嫌な物を見てしまいま した。「万引き」です。 「ききょう屋」さんの名物と言えば「信玄餅」です。あのサッカーの中田が 山梨の出身で、中田の大好物なのだそうです。中田のお母さんが息子可愛さに イタリヤに送っていることがフアンに判って沢山のフアンが買いに来たのが一躍 有名になった原因らしいです。 そこで始めたききょうやさんのサービスが、袋に詰め放題で幾らと言うサービスです。 袋は小さい物ですが、上手に詰めますと16個位詰まります。是は達人の技で私は 12個でした。それにしても8個で980円の品物が詰め放題で210円ですから・・ 12個詰まれば沢山です。 私達の前にいた若い可愛らしい20代のお嬢さんがハンドバックのチャックを半分開けて袋に一つ入れては、ハンドバックに3個くらい入れているのです。友達が気が付い て私に教えてくれましたので、私が「まぁ〜ハンドバックに入れてはいけないのでしょう」と言っても止ようとはしません。観光バスで来ていたらしく3人組でしたので何も 言う事が出来なかったことを歯がゆく思いました。 私がレジを通るときに余程お店の方に言おうか迷いましたが、バスはすでに出発し ていたので止めました。昼ご飯を食べながらその話をしますと言わなくて良かった と言われました。そうなのですレジを通ると大きな袋を下さいますので入れ替えて しまえば何の証拠も無いのですから・・ 「かわい顔陰に隠れた怖い顔親は知らない悲しい姿」 [ 更新日時:2005/04/01 00:04 ] |
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