ご時世

梅雨のような雨がシトシトと音もなく降っています。ビー
ルを冷やすスペースが無いと野菜室にビールを入れ
られると、葉ものが傷んで困るので冷蔵庫の大掃除
を済ませてホットしておりますと。

団地の頃から仲良しだった友達から電話がありま
した。

何か話したい事が在るらしく今良いかしらと聞いてきた。

コーヒを入れて話に耳を傾けると、飛んでもない話なのに相手の方が冷静なので拍子抜けしてしまいました。

お嬢さんが「離婚」する事に成ってしまったらしい・御相手の方とも旅行に行ったりしているし、セーターも編んで上げたこともあるので。

私の方がショクが大きい・余り込み入った話は聞きたくないのだが、電話の向こうの彼女は凡て話して聞いて欲しいらしく。

話が長くなって一時間以上聞き役になって聞いていたのですが。

時々返事に困る話になると相手の方をなまじ知っているだけに、私の方が返事に困るのでした。

母親で在る彼女は落ち着いていて縁が無かったのね。と・あっさりしていて私が心配する程落ち込んでもいないのが助かりました。

今時の親なのかなぁ〜とも思いましたが、今の時代娘の離婚は一大事では無いのかも知れません。

男女平等が許されて、雇用均等法と女の立場がかなり有利な時代では在りますが、出来ることなら添い遂げて欲しいと思うのは古いのでしょうか。

「三行半」を男の人が書くときは、かなりの勇気を必要とした一昔前が懐かしく思われた日でした。

今は、定年離婚も在るそうですから・男の方も枕を高くして寝てはいられない時代なのですね・・

「時移り雌時ばかりが強くなり肌寒い雨音もせず降り」
[ 更新日時:2005/05/31 07:47 ]

14:38 | つぶやき | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

言葉を失った辛さ



手術室から戻ってきた主人は真っ青でした。冷たくなった身体は微かに震えておりました。抱きしめて暖めて上げたい衝動に駆られたとしても不思議ではない感情でした。

局部麻酔で行われたらしくどんなに不安だったかと思うだけで怒りがこみ上げてきました。声を出せない人に対する優しさなんて持ち合わせていないのでしょうか・・

その頃の脳外科は、開頭手術が始まって間もない頃だったようです。倒れた人のニュースが開業医から這入りますと病院の車で、患者を迎えに行く話をしながら処置をしている無神経さには腹が立ちました。

医療と言うよりは、まるで実験をしていると思われても仕方がないと思います。この脳外科は後に脳死臨床の委員長を務めた「OO教授」が脳外科部長を務めていたのでした。

背が高く白髪で何時も沢山の医学生を従えての教授回診はまるで大名行列のようでした。有るとき主人の所に回診に来ておりますときにナースステーションのモニターが大きな音で鳴ったのでした。

今教授が回診してきた部屋からでした。教授でも人の死は分からないのです。歩数にして10歩くらいの距離ですから時間にしたら数分後にそのお部屋の方は旅だって行かれたのです。

それでも顔色一つ替えることなく次の部屋に回診に往かれたのですから、この位の落ち着きがないとやれないお仕事なのでしょう。

私が後に出会った先生でこう言う方はおりませんでしたが。

一晩術後の苦しみに耐えて、麻痺した顔で痛みを訴える顔は山門に建つ仁王様の形相でした。どんなにか今の自分の惨めな存在を情けないと思っていたことでしょう・・

胃漏」については又お話し致します・・つづく


16:30 | 花影 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

都電の停車場



都電の停車場で貴方は
私を待っていた
電車の中から私は見ていた
いつものように
変わらない貴方がいた

こんな毎朝の風景に
慣れていく私がいた
ある日貴方はいなかった
初めて知った恋だった
気が付いて泣いた日

雨の中に貴方がいた
私は電車の中から見ていた
おりた停車場は狭く
道に落ちてしまった
私のてを離さない貴方がいた

こんな風景が恋しい日が
時々訪れる優しい日がすき
着物に着替えて坂道を登る
片手に手向けの花を持って
貴方の側にと急ぐ私・・


16:25 | 花影 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

出来始めました・・褥創が



意識が戻りリハビリが開始されたものの主人の身体を違う病魔が襲い始めておりました。長いこと同じ姿勢で
寝ている人には、ありがちな「床ずれ」です。

口から一切物が食べられませんでしたから、幾ら点滴で栄養を取ったとしても限界があるのです。

体力の低下と共に日に日に床ずれの数は増えてきました。頭の中から骨が当たるところ凡てに赤紫の斑点が出来て、やがて破れて体液が流れ出すのです。

これが出来ますと、死に至ります。昔は中風で倒れた人の命取りはこの「床ずれ」にあったようです。

出来るだけこまめに体位の交換と血行を良くするためのマッサージをしなければ成りませんでした。

色々やってみましたが、体力の低下には追いつきませんでした。お尻に出来た大きな辱そうは広がる早さが酷く外科的処置によって直すこととなりました。

100日以上の栄養補給が出来ていない身体は健康時の半分の体重になっておりましたので身体の至る所に出来はじめましたので、「胃漏」を作ることになりました。

意識が安定してきておりますのと、後で分かったことなのですが、転院問題が絡んでいたようです。

一応救命には成功したのですからデーターとしては(+)に成ったわけですので。

これ以上の入院は大学病院と致しましては、必要がない訳なのです。ただ受け入れてくれる病院に対して対処しておかないといけないのと,どれだけの生命力が有るかを見るためのようでした。

胃から直接に高タンパクの流動食を入れることになったのです。

朝から何やら何時もと違う雰囲気に主人も落ち着きが無く手術室に運ばれて行きました・・つづく

「出来るなら迎えて欲しい黄泉の国無言の儘に任せた命」
16:17 | 花影 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

或る少女との出会い(2)



主任さんからお手数賭けてスミマセンと言われて耳鼻科の婦長さんをナースステションに訪ねていきました。

明日手術だとのことで、個室で一人で寂しそうにベットに腰を掛けておりましたが、私が這入っていくと飛びついて来ました。余程心細かったのでしょう可哀想に・・

耳鼻科の婦長さんのお話ですと、お家の方が見えないのでとのこと、承諾書は先日書いて貰ってあるのですが、余り彼女が沈み込んでいるので話しを聞いたら私に会いたいと言うのでご足労頂いてスミマセンと・・

暫く二人してベットに腰掛けて有り来た有りの話をしていたのですが、いきなり彼女が泣き出してしまい、私も困りました。

明日の事の不安と腫瘍が出来ているところが悪すぎること、聞いているコチラの方が涙が出てきて止まりませんでした。

お母さんが可哀想でどうにか元気になって家に帰りたいと言って泣き崩れる様はこの子の優しさなのでした。

明日の朝は早いのだからと落ち着かせて帰ろうとしたときに、婦長さんが来て下さって落ち着いたようですので・と言って私は自分の病棟に帰ってきました。

病む子を持って板挟みで苦しんでるお母さんを思うとき女の人生の厳しさを思わずには居られませんでした。

病気と新興宗教には私も泣かされましたから、病院まで押しかけて来られた時はその無神経さに腹が立ちました。

痛みが引いた頃を見計らって行ってみましたら。自分の顔がまん丸く腫れ上がっていて可笑しいと初めて見せた笑顔でした。

二週間後に明日帰れると私の所に来てくれました。顔の腫れも引けて可愛らしい笑顔は天使のようでした。お父さんが、お酒を止めたと言って嬉しそうにニッコリ笑いました。

彼女の病気の不安が家中を暗くしていたようで明るくなった家に帰れる事を共に喜んだ夕方でした。

「愛らしい笑顔残して行った子の幸多かれと祈る夕方」

16:12 | 花影 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

或る少女との出会い



耳鼻科から転科してきた女の子は優しい感じの温和し
い子でした。

何処か落ち着かないお母さんが付いてきただけで、
お父さんの姿は見当たりませんでした。

女の子は、しきりにお母さんのことを気にしていて
早く帰るように気を揉んでいる様子が何か不自然だったのですが。

私も、昼間の疲れで寝てしまい特別気にしておりませんでした。いつものように主人の看病に付いておりますと、女の子が廊下でじぃと私を見ている姿に気が付いて出てみますと、ホッとした感じで話しかけてきました。

何か話したくて来た様子が分かりましたので、看護婦さんに断ってラウンジに行って
話を聞くことに致しました。

彼女は一人で寂しかったのです。話が出来ない先生と一日同じ部屋で自分の病気と向き合っていることが・17歳の子供には出来ないと思います。

彼女の話を聞いてみますと、どうも家の中が彼女の病気の事で揉めていてお母さんがお婆ちゃんに虐められてること、お父さんはお酒のみでお酒を飲んでは暴れること・・

聞いていて可哀想になってきましたが、どうして上げることも出来ません。お母さんは
仕事に行っているので、病院には来られないことなど下を俯きながら話すのが哀れ
でした。

慰めようがないからです。こんなに幼い心を痛めて病気と闘うなんて。どんなにか辛いことだろうと思いました。

その夜。夜勤の主任さんからのお話で、3人仲良くして欲しいと言われて、彼女の
精神不安定が気になっている様子を伺って出来るだけ、話し相手になることを約束
致しました。

お母さんは、お勤めの帰りに洗濯物を取りに来ると急いで帰って行かれます。彼女は其れでホッとしているのが可哀想でした。少しでも長く側にいて欲しいでしょうに・・

家では、お婆ちゃんが、彼女が病気に成ったのは、お婆ちゃんの信仰している新興宗教にお母さんが入信しないからだと攻め続けているのだそうです。

各種の検査が終わり彼女は、耳鼻科に戻ってゆきました。

ある日の夕方耳鼻科から私に来て欲しいとの依頼が主任の所に来たらしく、申し訳ないけれども行って欲しいとのこと・・つづく


16:07 | 花影 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

待ちぼうけ

過ぎ去った月日が懐かしく思い出されるのはそれだけ
年を取ったせいかもしれない。想い出は何時までも
美しく、嫌なこともあったのだど思いますが思い出さ
ないのが良いところです。

初対面の時から2ヶ月くらいの月日が経っていた。彼と
二人きりで何処かに出掛けると言うことは無かったの
です。何時も誰かと一緒でそうゆう事を不自然だとは
思っていなかったし・・

二人だけになりたいと思ったことは特別になかったから・・GWの初めの日が初めてのデートの約束の日でした。その頃の彼は或る信号機の会社でアルバイトをしていて忙しく徹夜の日々が続いていたのでした。

新幹線が開通する少し前の時代でしたからATSの試作品の実験が連日続き約束はしたもののどうなることか・・

此方サイトは納品部品の量で想像が付くのでした。日増しに面倒な部品の依頼が多くなっておりましたから・・

デパートの屋上で10時の約束が何と現れたのが12時も過ぎて・・何処の浪人が来たかと思うような風貌でした。

夢と現実の違いをこの時すでに教育されていたのかも知れません。

技術屋の宿命で、実験が始まればキリが付くまでは現場を離れることが出来ないのです。

私も普通の女の子でしたから良く一人で2時間も待っていたと思います。それほど彼をよく知っていたわけでもありませんのに・・

池袋から電車に乗って日暮里まで行きますと彼は私をホームのベンチに待たせて一時間で戻ってくるから此処で待ってて欲しいとは・・

身繕いしてきたい気持ちは理解できましたので・本を読みながら待ちましたがキット駅員さんは気になっていたことでしょう・・今思うと申し訳ないことをしたと思います。

この人に付いていくのには待つことを覚悟しないといけないことを、朧気ながら気が付いていたようです。

此が縁だったのか分かりませんが・初めてのデートにしてはお粗末すぎました。

こうして待つことに成らされ続けた私でした。結婚してから聞いてみますと待てないようでは生活していけないからだと言われました。

何か新しいものを作り出すと言うことは常に時間との戦いの中にいると言うことのよう
です。

あの日怒って帰っていたら・・今の私はいないかも知れません・・つづく

「最初から待たされること教えられ最後まで待つ私がいてる」



[ 更新日時:2005/05/05 07:33 ]
14:07 | 貴方と私 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

五月の空・・恋の始まり



行き過ぎる日が長く遠くなってゆく
心の中で幾ら叫んでも戻らない日々

五月の空に泳ぐ鯉のぼりの群れ
見上げて待った懐かしい人はいない

デパートの屋上で私は一人でいた
来る来ないを占うような気分で待った

此から踏み出すであろう未知への世界
これが恋の序章なのだろうか教えて欲しい

五月の空は何処までも青く澄んでいた日
私の恋が生まれようとしていた日・・

初めて逢って恋をして五月の空に吸い込まれ
貴方を待つことしか術を知らない幼い思い

こんな五月の巡り会い遠い遙かな想い出が
懐かしくなるゴールデンウイークの日です

何事もないように暮れようとしているこの時間
あの日貴方が来なければ今の私はいない

五月の空が暮れて行く風が冷えて行くように
貴方が恋しい私がいます今ここに

たった一人で・・


16:01 | 花影 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

リハビリ・・頑張れ!!



意識の回復と同時にリハビリが開始されえた。点滴は首の静脈からカテーテルで入れていおりましたので、手のリハビリは森○先生が丁寧に教えて下さいましたので私が時間が許す限りやっておりましたが・・

本格的なリハビリはそんなに簡単な物ではなかったのです。若くして倒れた主人をどうにかもう一度子供達の許に戻して上げたい一心で森○先生の指導の基マンツーマンで教えて頂きました。

やせ衰えたとは言え男は男ですから、小さな私にはとても重く感じられました。
まし麻痺しておりますから自から動かそうとゆう意志が有りませんのでその重さは倍くらいに感じました。

森○先生は外来診療が済みますと病棟を回ってとても丁寧にリハビリをして回られる方の様でした。主人を一番最後にして下さいまして、時には挫けそうになる私を励まし一緒にリハビリをしながら丁寧に教えて下さいました。

何時も頑張りなさい・・車椅子に乗れるようになるかも知れないから希望は失ってはいけないと・励まして、一から手に取るようにリハビリを教えて下さいました。厳しいなか
にも慈愛に満ちた目はご不自由でした。

院内は白杖が無くも平気で歩かれますが、通勤には白杖が必要でした。娘を良く吉祥寺に食事に誘って慰めて下さったことは、感謝でした。

硬直仕切っている身体を少しずつリハビリによって柔らかくして行くのですが、主人の
苦痛に歪む顔を見ておりますと、可哀想な反面意識が少しず戻っている事の方が喜
びでした。

痛みに対する表情は日増しにハッキリしてきて森○先生がベットサイドに立たれるだけで歪んだ顔で嫌な表情をするようになって参りました。

時間が許す限り私は覚束ないながらも教えて頂いたリハビリに励みました。主任さんの計らいで窓際にベットが移されましたときはホット致しました。スーペース的にも広く何かと看護がしやすくなりましたので・・

夜になりますと、6人部屋で一人で待っている編み物の先生と少しの時間を楽しみます。ある日その部屋に耳鼻科から検査のために一人の少女が移ってきました。

私は、この少女とも関わりを待たざるを得なくなるのですが・・つづく

「優しさと厳しさのなかリハビリに励んで明日が見えると信じ」

15:55 | 花影 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

雀のお宿

小さな可愛い子雀たちが庭先で嫌に賑やかだなぁ〜と思っておりま
したら・やられました!!
北側の雨戸を開け閉めするのが何時もと勝手が違いますので変だ
なぁと思っていたのです。

いつもの年より椿の木の下で遊ぶ小雀が多く可愛らしいので喜ん
でいたのですが昨日の暑さに窓を全開にしょうと思いまして、雨戸を
開けようとしましたら一枚目の雨戸すら這入ってくれません「変だ」!

もう一度締めて開けようとしますとゴミが一杯点いてきます。蔦の葉の茎や枯れ草の大きいのやら・・戸袋からこんなのが出るとは考えられません。

雀さんが戸袋に巣を作っていたらしいのです。北側の雨戸は寒い日には開けませんでしたから巣作りには最高の場所のようでした。下を見てみますと。落ちておりました巣作りに運んできた諸々の小枝が・・

さぁ・・これをどうしてお掃除したら良いのでしょうか。思案投げ首の私です。
小林一茶のように「そこのけそこのけおうまがとおる」なんて優雅な心境にはとてもなれません。

二枚目の雨戸を外して一枚目を先にしてお掃除するしかないのですが。
外し損ねたら下に落としてしまいます可愛い雀も時にはとんでもないことをしてくれる物です。

此からの季節は戸袋は気を付けないと蜂にも狙われますから用心して暮らさないと。
自然の中で長閑な生活も良いのですが時々珍客に驚かされますね。

夕方思い切ってお掃除をしたのに・・朝起きて雨戸を開けようとしましたら・・開きません
朝方外がなにやら五月蠅いのは気になっていたのですが・・まさか何時間もしないうちに又巣を作るなんて・・思いませんでしたから・・頭にきました。

「スズメの子戸袋屋敷飛び出して椿の下で踊り戯れ」
[ 更新日時:2005/05/01 18:01 ]

13:57 | つぶやき | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑