雨と踏切

背中に赤ちゃんを背負い大きな男物の黒い傘をさし
ねんねこを着た一人の女が踏切を渡り切れないで
立ち往生ている姿は・

踏切番の人にとっては、異様に見えたに違いが
ありません。

実に速い速度で、私の所に飛んで来るなり「何してるんですか」と大きな声で怒鳴りました。

何もしてた訳ではないのです。此処は開かずの踏切で有名でしてその真ん中に取り
残された私は前にも後ろにも戻れないだけなのですが。

踏切番の人は、私が親子心中に見えたようです。

今と時代が違い、「ねんねこ」姿の若い女が大きなおむつ袋を下げて黒い大きな傘を挿していれば・

おまけにねんねこは雨でびっしょりと濡れていれば何処から観ても人生の悲哀を感じさせる姿だったと思います。

助けられて渡りきり友達の家についてこの話をしますと・あそこは渡らない方が良いとのこと。

お天気が良ければ回り道をして、駅の地下道を通るのですが雨が酷く時間も無いので近道をしたために起きた出来事でした。

それにしても親子心中に間違へ無くても良いのに・・

今のようにスマートな若いお母さん方を観ますとこの時の自分の姿が如何にみすぼら
しかったか・

あの時代は極普通なんですけれども雨に濡れた「綿入れのねんねこ」には哀感が有りすぎたようです・・

「幼き子背に路急ぐ踏切で電車に挟さまれぬれねずみの様」

「哀れにも親子心中と間違われ銘仙の衣が雨に泣いてる」

「踏切の中之島にて立ち往生行くも帰るも出来ぬ雨の日」

「雨の日に行くことないと言われても舅の居る身自由が欲しい」
[ 更新日時:2005/06/10 08:21 ]

15:38 | つぶやき | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

病院大好き・・闘病記



予約では先週の火曜日だったのですが。病院から今日にして欲しいと連絡が有りまして行ってきました

受付で顔見知りの看護婦さんが外来患者さんの受付を手伝っておりました。

彼女との出会いは初めて緊急入院で外来に来たときから3年になります。

今年の二月の緊急入院の時にはベットを確保してくれたのでした。

救急救命センターの主任さんで優しい看護婦さんです。

キチント名前まで覚えていて下さることには驚きました。

一日何百人来るか分からない大きな病院で、どれだけの人の事を彼女は覚えているのでしょうか。

「浮腫は無くなったの」と心配して下さったのには仕事とは言え頭が下がります。

「塩分の取りすぎはダメよ」・「キチント気を付けている」・「疲れすぎてはダメよ」・

あぁ〜プロは凄い!

何百分の一でしかない一人の患者の事を、どうしてこんなに把握していられるのだろうか・

病気は不治の病でも心から心配してくれる人がいる事を深く感謝致しました。

先生もご機嫌が良く、特別進行もしていないらしく今の所は、浮腫さえなければ問題はなさそうです。

「むくみ」と体重の増加は先生が一番気になるらしく、薬を出して頂きました。

アニメの世界なら「改造人間キカイダァー」なのになぁー

「我がからだ埋め込まれたる人工の最高級品にて生きて日を摘む」





[ 更新日時:2005/06/08 06:21 ]
16:35 | 難病日記 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

原体験・・厠・・

子供の頃8歳くらいだったと思います。
終戦後で世の中も落ち着かず子供達は勝手に大きく
なったような時代でした。

住む所も禄になく屋根のあるところは皆・住まいと思
えるような時代に。

母の里に疎開して蚕室の二階に仮住まいをしていたことがあります。

竹で出来ている梯子は、良くしなって子供の足には、間隔が荒く足が届かないのです。

登ることは出来ますが、降りるときは滑りそれは怖かった記憶があります。

段と段の間に身体が落ちてしまいそうで・それが嫌さに厠に行きたくても我慢しているものですから・

良くおねしょをして怒られました。

厠が怖くて嫌だった記憶が有ります。

牛小屋と背中あわせに有った物ですから牛が壁土を舐めて洗い桟の間からべーと大きな赤い舌を出して此方をジート見ているからです。

都会育ちの私には、恐怖の場所でした。厠に行くのが嫌でを我慢している物ですから綺麗なお手洗いの夢を良く観ました。

一瞬とても気持ちが良いのですが、何だか暖かくて目が覚めると、おねしょをしてしまった後なのです。

決まってお手洗いの夢を見ますと失敗していました。

子供心にも沢山気を使って生活していたのだろうと思います。

精神的疲労が深い眠りに繋がっての失敗だったのでしょう。

今思うとこんな経験が、出来る農家は今は何処にも見当たりません。

みんな素敵な都会的な住まいで良い想い出ではないのですが、何だか無性に懐かしい感じが致します。

こんな原体験が或る私です。

「母の里すべて面影うしないて昔をしのぶ桐の木があり」
[ 更新日時:2005/06/08 06:53 ]

15:41 | 母と私 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

家計簿

「LITTLE BUSTERS ☆ 余裕ブッコイて生きていけないヒトの迷夢」
さんが・・男の子で有りながら家計簿を付け始めました。

当たり前でも中々出来ないことをやり始めたのです。

とても偉いと思いました。

お母様の一言に目が覚めたことは素晴らしいことです。

男の子が家計簿を付けてキチント暮らす。

出来るようで出来ないことだと思います。
(やっている人が居たらゴメンナサイ)

家計簿を付けることは、大切なことだと思います。

人生何時なんどき何が起こるか分かりませんから、自分のお金の動きをキチント把握
しておくことは大切だと思います。

附けることによって、自ずと無駄が見えてきますから、捨てた物ではないのです。

ヤクルトの古田選手が記録が一番・記録することで、勝てる野球が出来る話をしておりましたが、記録しておくことで豊かな生活が出来ると思います。

物価に対しても自然と目が行き渡りますから・そして自分のエンゲル系数を掴んでおくことも大切です。

私の今の生活は、細々とした年金生活ですから、エンゲル系数が70%位です。

食べるだけの生活と言うことです。

どうか頑張って家計簿を附け続けて下さいね、ご両親が汗水流したお金ですから・・

そして少しずつ生活準備金を蓄えて下さい、一ヶ月分から努力して半年分蓄えますと
万一のことがありましても、半年有りますと生活は立て直せます。

人生平安無事が一番良いのですが・・

[ 更新日時:2005/06/04 08:02 ]

15:34 | 私とパソコン | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

我が名

先日も車の中で自分の名前について話が弾んだのでし
た。

何人かの人が自分の名前に満足していないのは何故
だろうか・・

何らかの不満を持っているのを面白く感じました。

何故なのか、私も子供の頃は自分の名前が嫌でした。三文字からなる名前が多い世代なのですが、中には小説の主人公のような素敵な名前の人も居ましたから。

どうしてこの名前が付いたか聞かない内に自分と同化していて、いつの間にか聞きそびれて年月が経ち未だに分からない侭です。

そしていつの間にか馴れてしまいこの年では気にもならなくなりましたが。

思春期の頃が、一番嫌だった様な気がします。孫達の話を聞いておりましてもそんな感じが致します。

母達のように明治生まれの人は、平仮名で二文字の名前が多く叔母達もみんなそうですから・

時代が変わって「子」が付く名前が多く成った頃「書き方」の時間に(今で言う習字の時間です)。

先生が名前の下に「子」を附けて良いと言われて喜んだ話を聞いた覚えがあります。

気の毒に附けることが出来ない人が居たことは言う迄もありません。

親はその子の幸せを願って附けるのでしょうが、時代と共に移り変わる流れの中でフット気が付いたときに気になるのが名前なのでしょうか。

昨日あるサイトで活字になった自分と同じ名前に出会って初めて良い名前だなぁ〜と思えたのは月日が経って名前が符号のように自分と一体化したからでしょうか。

それだけでも無いような気も致しますが・・

一度付けたら余程のことが無い限り替えることの出来ないことだけに難しい問題です。



[ 更新日時:2005/06/03 05:36 ]

15:29 | つぶやき | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

一番悲しかった日



前の日に珍しく看護婦さんが床屋さんをして洗髪をしてくれました。手の爪から足の爪まで綺麗に切ってくれました。

何時も私がやっているのに・その上洗足までして下さったので何か変な感じがしました。

次の朝は顔を綺麗に剃ってくれました。何時も私が綺麗にしているのになんで・・

10時頃に新しい浴衣に着替えさせて、ストレーッチャーで何処かに連れて行かれました。

何処に行くのですかと聞いても大丈夫よの返事しか帰って来ませんでした。

何か検査ならば何時も恩着せがましく細かい説明をする先生方は談まっりを決め込んで何も言いません。

お昼近くなりましたので、学食に行くために通った「講義室」の窓が開いておりましたので、何気なく覗いてみますと。

大勢の医学生に囲まれた主人が、ストレッチャーの上に載せられて居るでは有りませんか。

私は哀しみと怒りでその場に立ちすくんでしまいました。

まるでさらし者です。幾ら何でも酷すぎます。あの時移る病院が有れば私は黙ってその場を離れなかったと思います。

何をされても黙ってみていなければ成らなかった。「診てやる医療」の時代の悲しい患者の姿なのです。

それにしても患者の家族が付いていますのに一言の断りもなくこんな事をしても許されるのが大学病院なのでしょうか。

「植物人間」だとしても人格は有ると思います。命のある限り・・

私はあの時の助教授の名前を一生忘れることが出来ません。

日本の脳外科はこんな人達が先達だったのです。

主任さんが慰めてくれたことは、私を一層悲しくさせました。

主人が倒れて一番悲しい出来事だったと思います。

「人形のごと横たわる夫を観て吾子居なければ憤死のみち有り」


16:35 | 花影 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

ときそば

落語の「ときそば」ではないけれども・

地震が有ると母は良く時間を気にして

「今・何時だい」と聞いたものです。

「OO時」と返事をしますと口の中でもぞもぞとつぶやいた末に。

明日は「雨だね」。

聞くともなく聞いて覚えた呪文です。

「二四六風の四つ旱五七の雨にて九は病」

「にっしむつかぜのよつひでっりごしちのあめにてくはやまい」

地震が有った時刻で占った昔の人の気象学の一席でした。おそまつ・・

昨夜の地震を気が付かなかった私にお見舞いメールが来て変なことを思い出させました。

大きな地震が来ませんようにいのるのみです。

何故か今日は雨ですね。

明治生まれの母がお爺さんに教えられたのを私が覚えておりました。

昔の人は偉いと思いました・何処からでた知恵なのでしょうか。

この様にして自然と向き合って暮らしていたのですね。

追記・・
真夜中を九つ・(子の刻)八つ(丑の刻)七つ(寅の刻)明け六つ(卯の刻)五つ(辰の刻)四つ(巳の刻)九つ(午の刻)八つ(未の刻)七つ(申の刻)暮れ六つ(酉の刻)
五つ(戌の刻)四つ(亥の刻)・・明け六つから始まります。そして正午は午の刻です。
お八つと言う言葉は(未の刻)から来た言葉です。
江戸時代の時間のサイトはコチラです。
[ 更新日時:2005/06/02 16:13 ]

15:32 | 母と私 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

嫁の立場

10時半には買い物に行くからと朝早くに電話をくれた
娘。用件だけで済ませる電話は少し寂しい気もするけ
れども。

忙しい中を買い物に連れて行ってくれるので助かって
います。

嫁ぎ先には年を取った親が二人とも健在でいますから・気の休まるときは無いのかも知れないのにと思うとすまない気がします。

一番年が若くて跡取りの嫁ですから・昔風に言えば小姑はみんな自分より年上なので
何かと遣りにくいことが在った様ですが。

そこを旨く若さで乗り切っている姿には、教えられることが多く在る私です。

老いては子に従えではないですが。私より一回り年上となりますと年齢差が在りすぎて、娘も手こずることが在ったようです。

長い月日が、そんな障害も無事に乗り越えさせてくれたらしく、自分なりに経験も積み苦労して今の自分の立場を作り出した事は。

我が子ながら、偉いと思っております。

弱音も吐かずに頑張ってきたお陰で、彼方の親戚の方達が少しずつ立場を理解して
慰めてくれる環境が出来たようで。

親としてヤット安心致しました。

先日の彼方の家での親戚会の後お婿さんの従兄弟さん達が次々と慰めの電話やら、励ましの電話を下さったり。

妹さんからもお礼の電話が有ったりで。

当たり前のことをしているにしても、今の此のご時世で嫁舅の諍いもなく。

古い考え方の親との同居の中での子育ては、大変だったと思います。

今ここに来て、ヤットみんなが気が付いてくれたことは・遅い気さえ致しますが。

チョットした一言が救いになって頑張ろうと言う気持ちが生まれてくる物です。

優しい一言がどんなに力になるか、強いてはお父さんやお母さんに楽しい老後が約束されるのですから。

お嫁さんには、優しい一言は大切なのだと思い気づかされた日でした。
[ 更新日時:2005/06/01 09:44 ]

14:35 | 娘と私 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑