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ひなたぼっこの縁側日記

日々のことをつれづれなるままに書いて行きたいと思います。
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戦後60年経ちました・・赤紙と千人針



朝,何気なくテレビを付けると海老名 香代子さんが
NHKに出ておりました。

語り継がなければいけない戦争体験の番組でした。

第二次世界大戦を語る人が段々少なくなっていく
そうです。

私も8歳でしたから記憶が定かでは有りませんが思い出した事を書き綴りたいと思い
ます。

お隣の叔父さんに赤紙が来る。
昭和一九年になると三年生から六年生の学童疎開が始まると言う話が彼方此方で
話題になってきました私は未だ一年生でしたから関係は無かったのですが。

お隣の叔父さんに赤紙が来て青い顔をした叔母ちゃんが。

母にすがって声を殺して泣いている姿を子供心にも何か大変な事が起きたことは理解できていたようです。

叔母ちゃんのお腹には赤ちゃんがいました。

大きなお腹をしているのと時々婦人乗りの自転車に乗って黒い鞄を持ったお産婆さんが来ていたからです。

それから二日後に叔父さんは慌ただしく出征していきました。

千人針を刺す腹帯を持って路を通る人にお願いする仕事のお手伝いをした記憶が
あります何処かのおばぁちゃんが一緒だったような気もします。

子供に出来ることはこの位のことなのです。

「虎年」の人は幾らでも刺せるのです「虎は千里行って千里帰ると言って」千人針
には縁起がよいのでした。

あの頃はみんな心が一つだったのか私は寅年だからと気持ちよく沢山刺してもらうと嬉しかった物です。

路に立って「千人針お願いします」と言うと誰でも気持ちよく刺してくれました。

中には頭を撫でて呉れる人もいました。

白い晒しに赤い点で印が付いている所に赤い糸で止め結びをして貰うのが千人針す。

最後の一針は叔母ちゃんが心を込めて刺しました。

誰もが悲しく気の毒に思っていたのでしょうがそれを口に出す人は居ませんでした。

出征する朝、叔父ちゃんがみかんの空き箱の上から挨拶をしていたのは覚えていますが何を話したかは分かりません。

大きなお腹にもんぺを履いて黒の紋付きの羽織を着た叔母ちゃんが下を向いたままでいた事は良く覚えています。

その胸には「国防婦人会」と書いたタスキが掛かっていました。

こうして愛する家族を残して後ろ髪を引かれる思いで戦地に旅立っていったのでした。

学童疎開が始まるので、我が家は母の里「群馬県」に縁故(親戚や知人を頼に疎開をすること)疎開をしてしまいましたので。

叔父ちゃんが無事に帰ってきたかどうかは分かりません・・つづく

赤紙について

大日本国防婦人会

※千人針とは・・・

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