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ひなたぼっこの縁側日記

日々のことをつれづれなるままに書いて行きたいと思います。
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始まった強制疎開と金物の供出



家は世田谷に有ったのですが、強制疎開に引っかかり
武蔵境に引っ越す事になったのです。

強制疎開とは、万が一空襲で火事が起きたときに家の
類焼を防ぐために取り壊して家と家の間を広くするため
の物でした。

未だ充分住める大きな家(是がいけなかったのかも知れませんが)を立ち退かなければなりませんでした。

多分何の代償も無かったと思いますだだひたすらお国のための一言だけだったようです。

こうして私達家族は武蔵境での生活を始めたのでした、近所の方も良い方ばかりで
お隣の叔父ちゃんや叔母ちゃんには可愛がって貰いました。

武蔵境の家は二階からお天気が良い日には富士山が見えるので私は大好きでした。

お隣の石屋さんのお姉さんがとても可愛がってくれましたから。

色々な物がドンドン無くなってきて、食べる物も配給制度になったり、学校に行くようになったら憧れのセーラー服が着られると思っていたのに。

セーラー服の衿が三角になっていたことがとても悲しかったのを覚えています。

何処の家にも玄関の前には「防火用水」が置いてありました。

何時も水を一杯にして竹で出来た簀の子が被せてありその上に三個くらいのブリキのバケツが置いてありました。

夏はボウフラが湧くので近くのお兄さんが川でフナを捕ってきて入れてくれました。

母がとても喜んでお昼に代用食のすいとんを作り3人して食べ記憶が有ります。

防火用水の側には、鳶口と火の粉を払うモップの様な物が置いてありました。

あの物の無い時代に誰も持って行く人が居なかったのが、今考えると不思議な気がします。

ある日学校から帰ってくると玄関脇の四畳半の部屋が変でした。

金棒で出来ていた手摺りが無くなっていたからです台所からは鉄のお釜屋やお鍋が
消えていました。

母が暗くならない内に早く金物屋さんに言ってアルミのお釜を買って来ないと・と言って
出掛けていきました。

母の手から指輪が消えていたのには、気が付きませんでした。

お婆ちゃんのキセルの雁首も吸い口も大事にしていた物を随分と供出したようです。

こうして生活がドンドン追いつめられていったのですが、誰も口にだして愚痴をこぼす人は居ませんでした。

戦地の兵隊さんは大変なんだよが母の口癖でしたから・・つづく

家屋強制疎開とはこの様な物です。

金物供出とは・・

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