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ひなたぼっこの縁側日記

日々のことをつれづれなるままに書いて行きたいと思います。
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学校生活毎日の決まり



人は可哀想だと思えば庇いたく成るものです。

それ故なお可哀想なことが起きてしまうのです。

間に入った本人が一番辛い思いをするのですが、
人間が人を愛する感情を無くしたとしたら。

世の中は殺伐としてしまうことでしょう。

母がいなくなって寂しそうな私をお婆ちゃんが庇えば従姉妹達が面白くないのは当た
りまえです。

賢いお婆ちゃんは、私を庇いませんでした、その夜から従姉妹達と一緒に寝かせたのです。

従姉妹のMちゃんは、3歳年上でしたから妹が二人出来たようで可愛がってくれました。

夜中も起こして用足しに連れて行ってくれましたので、私はその夜から失敗をしないで済みました。

朝、早くから草刈りに行くのが子供の仕事でしたから、大きな釜を持って慣れない草刈りにも行きました。

お陰で毎朝、山羊のお乳が飲めたのです。




学校は、母が出た学校で親戚の叔母さんが先生をしておりましたから、廊下で行き
逢うとソット頭を撫でてくれるのでホッとした物です。

後で知ったことですがお婆ちゃんが頼んでおいてくれようです。

その頃の学校は毎朝、朝礼が有りました。

広い校庭に全員が集まって皇居のある方に向かって最敬礼をしてから、「教育勅語」の暗唱が始まるのです。

1・2年生は、ただ口をもぐもぐしているだけでした、先生が大きな声で「ちんおもうにこうそこうそくにをおさむること・・」・・と・・そして最後の「御名御璽」だけを大きな声で言っていました。

確か(何度か転校しましたが)何処の学校にも「奉安殿」が在ったようです。

天皇陛下と皇后陛下の写真が飾ってありました。

必ず正門から這入り門の所で最敬礼をして、次に「奉安殿」に向かい最敬礼をしてから、お教室にはいるのでした。

何も意識することなく、こうして子供達は愛国精神を学んでいったようです。

学校の行き帰りも大変でした家の門に「英霊の家」の木札が在る家に対してはお辞儀をして通るのが当たり前でした。

急いで帰るときにはたんぼ道を通る知恵が子供にもありました。

暫くすると「出征兵士の家」と言う札も出来たようですこうして戦争と言う渦の中に否応なしに引き込まれて行きました。

「教育勅語」のサイト

「奉安殿」とは・

記憶違いだと困ると思い探したサイト「英霊の家」

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