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ひなたぼっこの縁側日記

日々のことをつれづれなるままに書いて行きたいと思います。
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英語の辞書が一番だそうです



昭和19年の夏頃から、戦局が思わしくない話がちら
ほらと大人達の間で囁かれ始めました。

誰も大きな声で話す人は一人もおりませんでした。

軍が新聞紙上で国民に知らせる情報は良いこと
ばかりでしたから。

そして神の国に今に神風が吹いてこの戦争は我が国の
勝利の内に終わると言うのが、表向きの報道でした。

私達も半信半疑の内に信じたり、声に出せない疑いの中で押し流されていたようです。

学校から帰ると先ず一升瓶に配給の玄米を入れてハタキの柄の様な竹の棒でお米
を搗くのが私の仕事でした。

正座をして膝と膝の間に瓶を挟んで両手で竹の棒で搗くのですが、中々の重労働で
単純な仕事ですから根気がいります。

明るい内にしておかないと、空襲警報が鳴るようになったからです。

夜になると電気の笠に燈火管制の覆いを付けて灯りが外に漏れないようにする為に
出来るだけの事は明るい内に遣ってしまわないとなりませんでした。

学校では・空襲警報が鳴りますと集団下校が決まりで上級生が下級生を前と後ろ
から挟むようにして走るようにして、家路に付くのでした。

勉強が落ち着いて出来る状態が段々と無くなって来ました。

家のカーテンもまるで写真屋さんのように黒いカーテンに変わり、学校に往くにも
防空頭巾に救急袋・・この中には「三角巾・マーキュロ・メンソレ・油紙・包帯」などが
這入っておりました。

日用品も統制品が多くて手に入れることは困難になってきておりました。

甘いお菓子はもう無くなっておりましたからお汁粉には塩を入れて味を付けていました。

塩も配給になり「岩塩」ばかりでしたからナイフで削ってフライパンで煎ってから使って
いたと思います。

私は手先が器用な方でしたから、配給の刻みタバコを巻いて上げて喜ばれました。

此は楽しい仕事でした、紙障子紙では、美味しくないらしく英語の辞書が一番美味し
かったそうです。

英語の辞書を解いてタバコの大きさに切り、タイプライター用の薄い紙に習字の細筆
の柄を巻き付けてそれを板に張りお寿司を巻く要領で巻いていくのです。

大人の人に喜ばれて注文が多くて一生懸命にたばこ屋さんをしていた記憶があります。

広い庭には「ヒマ」の木が植えられていました、これも軍からの要請のようでした。

この「ヒマ」の葉を持って学校で飼っている「ヒマサン」に持って行くのですが、大きな
青虫でそれは怖くて嫌でした。

顔には出しませんでした、怒られるのが怖かったからです、急いで遣って逃げて帰る
のでした。

学校からは元気な男の先生が姿を消して行きました、先生の出征が一番悲しかった
様な気がします。

学校にはお婆ちゃん先生と、女の先生に代用教員の若い女の先生に混じっておじい
ちゃん先生が増えてきました。

時々怖い顔をした「憲兵」の腕章を付けて軍刀を下げた兵隊さんが来るようになりました・・

統制品のサイト

燈火管制のサイトは此方です。

憲兵についてのサイト
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