甘いってこんな味??2005 / 08 / 05 ( Fri )
![]() 朝、早くに友達が堀立の新じゃがを沢山持ってきて くれた。 暑さで食欲が落ち始めて来ているので、何か作っ て食べる気も起きないから、この新じゃがを蒸か しておいてお腹が空いたときに食べようと蒸かし てみたらホッコリと割れて粉をふいて美味しそうなので3個も食べてしまいました。 お腹が一杯になるとはこんなに元気になれて幸せなことなんだと、つくづく思った のでした。 育ち盛りの子供達が何時もお腹を空かせてひもじい思いをしていた時代が有った なんて今は考えられないからです。 「欲しがりません勝つまでは」をスローガンに無い無いづくしの生活でも、誰も口に 出して不満もいわづ耐え続けたのは何だったのでしょうか。 学校の校庭は野菜畑になり、当番で水やりから草むしりまでみんな子供の手で 遣っていました。 家の庭に植えた「ヒマ」の木に実がなるとそれも供出しました此は機械に挿す 潤滑油を作るためでした。 「ヒマ」の実はライチの実に棘が生えているような物です取るときに痛かった 記憶があります。 今までは警戒警報で済んでいたのが、年が明けて昭和20年になりますと、 空襲警報が、頻繁にラジオから流れてきてその度に急いで身支度をして 何時でも逃げられる用意をしいました。 夜は警防団の人の見回りが頻繁にあって少しでも灯りが漏れていると大きな 声で怒鳴られるので、電気の笠に付けた黒い覆いを下げていましたから、 本を読むにも、編み物をするにも大変でした。 大都市が空襲に見舞われ始めたのもこのころだと思います。 ある日の朝礼で校長先生が男子の上着のボタンを供出するようにと話した後で 配られたボタンは陶器で出来たボタンでした。 その頃は既に糸も統制品で衣料切符がないと買えない時代でしたから、付け 替えることも大変なのでした。 私が着ていたスカートもスフで、水に濡れるとズッシリと重く気を付けないと、 裂けてしまう物でしたから、何かの行事が有るとき以外は、着ませんでした。 甘い物を食べさせたくて母が「サッカリンとズルチン」をどこかから手に入れてきて、 サツマイモのお汁粉を作ってくれました。 こんなに甘くて美味しいのなら、そのまま舐めてみたらどんなに美味しいかと母の 目を盗んで舐めてみましたら、苦くて嫌な味がしました。 今でも人工甘味料として使われているようですが。 徴兵もかなりの高齢の人や徴兵検査に落ちた人までもが、密かに出征していき ました。 この人達は、誰にも見送られることもなく、夜汽車で赴任地に赴いたようです。 |
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