三里の山道を行く雨の日2005 / 08 / 06 ( Sat )
![]() 松が明けて、上毛三山が冬の日差しの中にくっきりと 見えたあの日。 山子田からお婆ちゃんが出てきました。 次郎叔父ちゃんが自転車の後ろに乗せて我が家に やって来たのです。 何時までも帰ってこない娘親子にヤキモキしていて迎えに来たのでした。 まさか初めての空襲に遭うとは思わなかったと思います。 街の中心地はその日は名物のだるま市で大にぎわいでした。 お昼を食べて出掛けていったのですが、凄い人出で身動きが出来ないほどでした。 三人して八郎叔父ちゃんに「武運長久」のだるまを買って早く帰ろうとしていたときに突 如なり出した空襲警報のサイレンでした。 三人は人混みの中でしっかりと手を繋ぎ迷子にならないように、母の機転で「麻屋デパート」に逃げ込んだのでした。 大きな建物が狙われることは知っていましたが、ウッカリ路を歩いていて機銃掃射にあったらそれこそ大変です。 敵の飛行機が飛んできたときは、路を歩くことは非常に危険なことだったのです。 B29以外に「グラマン」という飛行機が飛んできたときは、機銃掃射にきをつけないと、低空で飛んできて、バリバリバリと撃ってきますから、気を付けるように言われていたのです。 街の中心で初めての空襲に遭うとは思っても居ませんでしたから、解除になるまでが長い時間に感じました。 後で聞いた話ですと町中が蜂の巣をつついたような騒ぎだったようです。 買っただるまさんはなくすことなく持って帰りました。 初めて見た大きなB29の姿と本当の空襲の怖さを実感した日でした。 暫くして母と二人して、荷物だけでも疎開させようと、三里の路をリヤカーに荷物を積んで出掛けたのです。 晴れている日より曇りの日の方が視界が悪く安全だろうと言うみんなの意見でしたが、途中から雨が降り出してきて、油紙のカッパでは、ずぶ濡れになってしまいました。 途中で休むことも出来ず三里の山道をリヤカーの後ろを押して歩くことは、子供には とても辛いことで途中で泣き出してしまい母を困らせた事を、今でも悪かったと思っ ています。 ------------------------------------------------------------------ 私が前橋大空襲(八月5日)を経験し朝早く家に戻った時に広島に原爆が投下されたのです・・そしてこの日ソ連がこの戦争に参戦したのです。 |
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