2005-08-08(Mon)
中から外に逃げまどう人人人

赤城・榛名を北に浅間を西に桐生伊勢崎を東に位置
する前橋市は、冬は空っ風が吹きすさび、夏は雷が
酷く、関東平野を代表する二毛作地帯で、西を流れ
る利根川は東京の水瓶としての役割を果たして
います。
春から秋にかけては、養蚕が盛んで町外れには桑畑が広がり、夏には身の丈くらい
に伸びた桑の木が、私たちを空襲の襲撃から守ってくれたのでした。
工場の近くには沢山の鯉の池が有って何時も水が、満々と張って有りました。
この鯉の池も沢山の人の命を救ったのでした。
爆音は東に或る前橋駅の近くから、やって来たようです。
もう・グズグズしている時間はありませんでした。
西を流れる利根川沿いに前橋刑務所が有りますから、早くしないと標的にされてしま
います。
工場の西門を出て直ぐ側を流れる農業用の用水路に母が嫌がる私を突き落とすよう
にして入れて、二人して頭の上に濡らして置いた布団を頭からすっぽりと被りました。
川の両側は草が生い茂って居てくれましたから、二人の姿はハッキリとは見えなか
ったと思いますが、道ばたを機銃掃射バリバリバリと狙って来たときは、母が私の
頭を抱えて水の中に潜りました。
道を一本隔てて真っ赤な火の海でした。
何処をどうして逃げたか分かりませんでしたが、飛び込んだ川の水が私の胸ぐらい
まで有ったことは鮮明に覚えています。
あの水かさの中をどうして歩く事が出来たのか不思議に思えますが、水の流れが押し流してくれたのでしょう。
川から上がり桑畑に逃げ込んだときは、濡れ鼠でしたが殆ど記憶にないのです。
ただ空に幾筋もの照明灯の明かりと、高射砲の明かりが交差する中を焼夷弾がバラ
バラと炸裂しながら落ちる様だけは花火のように綺麗だと思って見ていました。
ここなら安全と言う所まで来たときには、河原は人人人でごった返しておりました。
河原の石が昼間の暑さで暖かかったので濡れていた衣服の事は気に成りません
でした。
空だけが真っ赤に焼けて大きなお日様が天から落ちてきたような感じでした。
高射砲の音と交差する明かりが昼間の様な明るさだったことだけは、記憶にあります。
まんじりともせずに夜を明かして、敵機が去って空襲警報解除の知らせが、高崎側の土手から聞こえてきて疲れた身体を引きずるようにして家に戻りました。
みんなどの顔にも疲労の色が濃く口をきく人はいませんでした。
歩いても歩いても家に着きません。
桑原に捨てて行った布団はそのままの姿でそこに有りました。
家に近かずく頃に雨が降ってきました。


