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2005-08-09(Tue)



人が道を歩くとき往きに歩く距離はやたらと長く感じ
ても、同じ道を帰る時は短く感じるのが常です。

帰り道がこんなに遠く長く感じられたのは、後にも
先にもこの朝だけのように思います。

母も私も幸いに怪我はたいしたこともなく、普通に
歩くことが出来たのは幸いでした。

同じ路を歩く人の中には、身体の何処かに火傷をした人や怪我をした人、歩くことも出来ずに道に座り込んでいる人。

母は私を庇うように出来るだけこの様な光景を見せないように小脇に抱えるようにして道を急いでいるのですが。

喉が渇き通りの農家でお水を飲ませて貰いました、あの時のお水の美味しさは生涯
忘れることは出来ないでしょう。

農家の人の優しさのお陰で元気になり、家がちかずくに連れて新しい不安が胸をよぎるのでした。

母の方が切羽詰まった気持ちだったようです、私の手を握っている手に力が入り伝わってくるので良く分かりました。

もし家が焼けていたらこのままの姿で、また歩き出さなければならないのですから。

道々至る所に大きな穴が空き爆撃の如何に凄かったかを物語っていました。

街に近づくに連れて、動けない人や怪我をした人が沢山、増えてきました、角を
曲がって恐る恐る見ますと有ったのです家が。。。。

あの時の母のホッとした顔は安堵と申し訳なさとが入り混じっていた様な気がします。

急いで家にはいると、母は私に大きなヤカンにお水を汲ませて、大きなお盆にお茶碗
を出来るだけ沢山出すように言いつけて置いて、自分は防空壕から新しいシーツを
持ってくると惜しげもなく裂き始めました。

道にみかん箱を並べて張り板を載せてヤカンと茶碗を置くと道行く人に飲んでもらったのです。

私設の救護所を作ったその早さに私もヤカンを持って水道との間を何度も往ったり来
たり忙しく働きました。

裂かれたシーツは、怪我をした人達の包帯になりました命からがら逃げて来た同士なのですから当たり前なのです。

家が焼けなかった人はこうして応急の私設救護所を作って助け合ったのです。

焼け跡からは雨が降ったからなのか、燻る煙と水蒸気と火薬の匂いが入り交じって
流れてきます。

落ち着いてから良く家を見ますと、屋根から油が流れているのに気が付きました。

黒い油がどの屋根にもびっしりと撒かれていました、油を先に撒いて置いて爆弾を
落としていたのが良く分かります。

工場の前に大きな通りが無ければ恐らく跡形もなく焼け落ちていたことでしょう。

その晩は母が作って置いたおにぎりを食べて死んだように寝ていたそうです。

冷蔵庫のない時代に母は工場の井戸にバケツに入れて残ったおにぎりを吊して置
いたのでした。

新型爆弾が広島に投下されたことを知ったのは、会社の人達が三々五々お見舞いに来てくれて始めて知ったのでした。


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