無条件降伏でした2005 / 08 / 11 ( Thu )
![]() 八月十五日は、朝から夏の日差しが強く、往還に出る と道に陽炎が立つているような日でした。 朝の、野良廻りから帰ってきた叔父がお昼に重大 ニュースが有るらしいから北の家に行ってラジオを 聞いてこようと言うのでした。 その頃ラジオが有る家は珍しく叔父の家にも有りませんでした。 急な坂道を登り急いで北の家に行きますと、沢山の人が庭まで溢れていました。 叔母さんが座敷に上がるように言ってくれましたので、親戚のよしみで、お邪魔して 「天皇陛下」のお話だからと膝をキチント揃えて座り放送の始まるのを待ちました。 その頃のラジオが悪かったのか、電波の状態が悪かったのか、雑音が酷く聞き取り にくい放送でしたが。 子供心にも普通の放送ではない何か大変なことが起きたことは、察しが付きました。 年寄りは「おやげないねぇ」と言って泣き出しますし、みんな打ち拉がれた様子でした。 帰る道すがら叔父が戦争が終わったこと、日本が無条件降伏をしたことを話して聞か せてくれました。 これから先のことはどうなるかなにも分からないが、今夜からは、空襲だけは無いだろうと聞かされて子供達は喜んだのでした。 暑く長い夏休みが終わる頃には、内地にいた兵隊さんが帰って来始めました。 学校が始まって教練で怖い顔をしていた先生が、心なしか優しく見えたのは気の せいでしょうか。 ある日家にある教科書を凡て持って登校し墨を刷って先生の指示に従い言われた ページを墨で塗りつぶしたのでした。 「二重橋」や天皇の写真や戦争に関係のあるページは黒く塗られました。 がばがばに乾いた教科書は、膨らんで帰りは大変でした、幾らか落ち着いてから新しい教科書としてローマ字の教科書が増えました。 日本語が使えなくなった時のことを考えてか、このローマ字の教育は厳しい物でした。 お陰で私は、今こうしてローマ字で、パソコンの入力が出来るのです。 相変わらず食べる物はなく、配給も少なくなりましたが、夜は電気が付けられますし、空襲が無く気分的には楽な生活でした。 学校は校舎が焼けてしまい青空教室で校庭の木陰が教室でした、雨が降りますと、 焼けなかった学校に通わなければ成りません。 遠いところまで良く歩いて通いました、先生の話を聞いていないと次の日に行く学校 が何処の学校か分からなくなってしまいますから大変でした。 町には進駐軍がジープで彼方此方の十字路に立っていて、初めて見る鼻の高い 目の引っ込んだ顔は怖いと思いました。 MPの腕章にヘルメットを被り小銃を肩から提げていました。 後でこの人達から、ガムやチョコレートを貰うのですが・ |
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