虱と蚤と伝染病と栄養失調



暑い夏が過ぎて涼風が心地よい季節に成りますと、
内地にいた兵隊さん達は兵役を解かれて戻って
きました。

電気は、点けても怒られない変わりに停電ばかりで、
点いている時間の方が短いくらいでしたから夜は
蝋燭の明かりが頼りでした。

物資は益々無く買い出しに精を出すのは復員してきたお父さん達の仕事でした。

これが闇屋さんの始まりだと思います。

学校では蚤や虱が増えて特に女の子は、頭に虱が湧き地肌を喰われる物ですから
何時も痒くて、落ち着きが無く母が熱いお湯で蒸しては梳き櫛で梳いて呉れました。

が、白い卵が何時も髪の毛に付いていて、鼬ごっこでした衛生状態が如何に悪いか
おわかりになると思います。

配給の品物も悪く何時もお腹を壊しておりました。

チフスや赤痢やパラチフスと言う伝染病で亡くなる子供も少なくありませんでした。

これが戦後の生活だったのです農家で分けて貰う野菜には人糞が使われておりまし
たから、お腹には回虫が湧き学校で虫下しと言っては、布海苔のような薬を飲まされ
てお腹を下しておりました。

頭にはDDTをまかれ、背中からも入れられて、頭の天辺から体中を真っ白にして
家に帰った物です。

母は又遣られたのと言ってはお風呂に入れてくれました。

工場が軍事工場でしたからある日MPが来たときは殺されるかと思いましたが。

生産中止の張り紙だけで済んでみんなしてホッとしたのでした。

その時の若いMPの人が私を見付けて側に来た時は、心臓が口から飛び出しそう
でした。

彼はニッコリ笑うとポケットからガムとチョコレートを出して私に呉れたのでした。

良かったのか悪かったのか、残念ですが食べた記憶がないのです。

大人の人が一番困ったのが、タバコのようでした、私は、日曜日になると朝早くに
起こされて、整理券を貰う順番取りに並ばされたのでした。

季節は初冬に向かい始めていましたから、着る物も粗末で寒さが身に浸みました。

整理券一枚でピース一箱だったと思います、それも指定のたばこ屋さんでないと
貰えないのでした。

一番最初に買って貰った本は、紙が鑞引きのように薄く前の活字が所々に残って
いて横を向いたり逆さだったりしていました。

下に白い紙を入れないと、裏のページが移ってしまい読めませんでした。

町にはバラックと言う家が出来始めました、焼けたトタンや何でも拾ってきて仮の
住まいが出来てきたのです。

整理された防空壕に住んでいる人もいました、この様な生活の中でも逞しく生き
抜いてきたのです。

食糧事情が良くなるのには、長い月日が必要のようでした。

結核が流行して、栄養失調で亡くなる人も少なく有りませんでした。

戦争中は爆撃に戦き、戦後は餓えに苦しんだのがこの戦争でした。


20:27 | 私の戦争体験記 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑