水仙郷にて2006 / 01 / 30 ( Mon )
「はるまちて たずねあるいて きみとあう」
「ふくかぜの かおりたずさへ ふゆのはな」 「かめらみて さきこぼれおり さむいひに」 「みてみてと よこがおむけて しろきはな」 「かべんだけ しろきいしょうの ふゆだまり」 淡路島の水仙郷にて・・・ |
おとを犬のゐ・新仮名遣い2006 / 01 / 25 ( Wed )
![]() 二部式授業が始まって家が焼けなかったので良く友達 が遊びに来ていた。 焼け出された友達は転校手続きが出来ないために遠い 親戚から学校まで通ってきている人もいた。 一週間交替だったと思う午前と午後とに別れて学校に 通っていた記憶がある。 一番勉強に興味を持つ年代の3年生の時だったから新しく配られた教科書が 読み物の変わりで読んでしまうのには時間が掛からなかったような気が・・・ この頃は多分未だ教科書は有料でお古の教科書を貰って使っていたと思う。 お下がりは出来るだけ勉強の出来る人を見付けて早くからお願いして置いて 丁寧に使って次の人に回したのでした。 学校の教科の科目から「修身」や「歴史」が無くなり音楽の教科書も新しく 成ったような。 この辺の記憶が今一つ確かではない、一番困ったのが算数で家の都合で 転校したときに、今までは「分数」をやっていたのに転校先では「少数」に なっていたりしたことだった。 何故転校したのかその時が何年生だったか定かではないのだが、この算数の 授業に泣いた記憶だけが今でも頭の中に鮮明に残っている。 私達の年代では勉強らっしい勉強が出来るようになったのは、5・6年生に成って からだと思う。 国語も「を」は、叔父さんの「を」で「お」はお父さんの「お」だったから、犬の「ゐ」は今は余り使われていないようだが。 母国語の授業が一番辛かったのは小学校低学年で乾いた土に水が染み込む如くに 覚えてしまった物は、中々変えることが出来ず辛い思いをしたのを良く覚えている。 助詞が時々変わったのにも泣いた記憶がある何がどう変わったか今ではすっかりと 「新かな使い」に馴れてしまって・・・ こんな時代でも学校は楽しいところで不登校になる子供は居なかったと思う。 ※サイトを探してみました。「新仮名遣い」と「旧仮名遣い」 |
強かった母親達感謝してます2006 / 01 / 24 ( Tue )
![]() 雪に埋もれていてもアイビーは萎れもせず健気にも 緑を称えて茂っている強いと思った。 終戦頃の日本女性は外国婦人から比べたら一回り は小さくか細かったと思う。 あのか細い身体で戦後の復興に役立つ子らを必死で 育てる強さが何処にあったのかアイビーの雪を払い ながら思った。 幼子を背中に長い道のりを食料を求めて歩き餓えさせることもなく成長させてくれた ことに改めて感謝している。 お向かいに叔父さんの戦死の公報が届いたのは暮れも押し詰まった頃だった。 そしてお隣のお兄さんが戦地から無事に帰還したのも同じ頃だった。 人間の幸不幸が何時も背中合わせになって時が流れていたような気がする。 叔母さんは年が明けるのを待って迎えに来た横浜のお兄さんと子供の手を引いて 別れを告げていった又一人私は仲の良い友達を失った。 無事に帰ってきたお兄さんは間もなくマラリヤに犯されて生死の境をさまよう日々が 続いたのを忘れることが出来ない。 命からがらヤット親の元に辿り着けたのに気の毒だと母が毎日言っていたからだ。 医者もなく薬も手に入らない時代では幾ら親たちが手だてを求めて奔走したとしても 無駄に終わるだけだった様だ。 あの時代は病気をしないこと・怪我をしないことを朝から晩まで五月蠅いほど言われ て育ったような気がする。 幸い命を取り留めたお兄さんは、病気でやつれ果てて生きる気力が失せたのか人の 道を踏み外して逝ってしまった、忘れることが出来ない悲しい想い出として深く心に 残っている。 薬草は欠かせない常備薬で、暇を見付けては摘みに行った記憶がある。 「ゲンノショウコ」「ドクダミ」「センブリ」と摘んでは乾燥させて保存していた母を 思い出す。 こうして戦争が終わっても女達の戦争は終わってはいなかったのだと今更のように おもうことがある・・・此の平和な時代を今私は生きている。 「枯れ果てて医衣薬さがす術もなく力絞りて生きて帰れぞ」 |
竹の子生活を知っていますか2006 / 01 / 23 ( Mon )
![]() 日曜日に降った雪が日陰ではそのまま残っている。 気温が低く北風がとても冷たくなにも無くなって しまった焼け野が原で住む所も無く過ごしていた 敗戦の年も今年のように寒かった記憶がする。 人々は何処からこの焼け野が原から立ち上がって 今の様な生活を楽しむ暮らしに辿り着いたのだろうか。 住む所とてなく、身に纏う衣服とて満足には無く真冬の寒い中素足の 子供の足からは、あかぎれが切れて血が滲んでいた。 戦時中よりも酷くなった食糧事情に、僅かな手持ちの衣服はブツブツ交換で 食料に化けていった。 こうして餓えを凌ぎ生きて来られたのは、父母のお陰だと思う。 朝早くから、大きなリックサックを背負い電車やバスも走っていないところを 食料を求めて歩き続けて呉れたのだから。 お金より物がない時代には、品物でないと中々食料は手に入らず喰わんが 為には相手の言うが儘だった様だ。 我が身を剥いで生きることを竹の子生活とは旨くいたものだと思う・・・ 日溜まりで編みかけのベストを手にしながらフト思い出してしまいました。 「身を剥ぎて 長き道のり 果てしなく」 |
大寒の寒い朝です2006 / 01 / 20 ( Fri )
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水仙2006 / 01 / 20 ( Fri )
「東屋の 軒の雫を 除けて咲き」
「一輪で 微笑んでいる 冬の朝」 「清らかな 姿涼しく 春を待ち」 「誇らしく 咲きて魅せまじ この姿」 「冷えし朝 氷のバケツ 眺め居り」 これは昨年の今頃に咲いておりました 我が家の水仙です。 今年は、芽が出て居りません・・・ 日曜日は、色々な学校で入試が始まります。 センター試験を受けられる方達も沢山居ります・・・ 寒さに負けずに頑張って下さいませ。 |
彼が救った命です「私と難病」2006 / 01 / 20 ( Fri )
![]() 今日は、20日正月で小豆がゆを炊いて食べる日 です^^ これでお正月の行事もだいたい終わろうとして おります。今年のお正月は、ブログを始めた お陰でとても楽しい良いお正月でした^^ 有難う御座いましたm(_ _)m 今の所体調も良く、日々快適に過ごしていられますが、 何時この身体に変化が起こるか,薄氷を踏む思いでおります。 怖がってみても、成るようにしか成りませんから、神様任せです^^; 寒い日が、有りますと左側の背中が、鉄板が貼り付いたような痛さです(><;) 先生に、訴えたところで改善しないことは、自分で背負っていくしかないのが 難病患者の定めなのですから(涙) 私が、発病したのは不詳です(診断書によると) 医学が進歩した現在では、早くに発見されて進行が食い止められたと思いますが 主人が倒れて、私の命を救ったような状態になってしまったのです(涙) 彼の看病中に、過労で倒れて始めて私の病気が、発見されたのですから・世の中は 皮肉なものですね。こうして生きながらえていることは、彼が身を犠牲にして私をこの 世に残してくれたのだと思いますと、頑張って明るく楽しく生きていかないと申し訳な いと思っております。 松も取れましたので、少しずつ同じ病で苦しんでいる方のために、怖がらなくても生活 出来ることを、私の、経験を通してお話ししたく思っております(*^_^*) 「有りの儘生きていこうよ無理せずにおのが命の強さを信じ」 [ 更新日時:2005/01/20 08:23 ] |
戦争は終わったけれど2006 / 01 / 19 ( Thu )
日毎夜ごとにやって来るB29の攻撃から解放され
たのに少しも生活は落ち着くどころか以前にもまして 苦しくなるばかりでした。 配給もなくなりしばらくの間は、無法地帯の様だった 気が致します。 大人達は無気力になり、子供は、学校に行くにも 焼けて終い学校がないのですから・・・どの位の月日が経って学校が再開され たのか記憶が定かではないのですが。 多くの友達が住むところがないために転校して往ったり、疎開先から戻ってきた りしておりました。 私も、その中の一人で田舎の学校に転校して往きました。 沢山の疎開児童と田舎の子供の牽制し合う中に毎日身を置くことはとても 辛いことで落ち着いて勉強所では無かったような気が致します。 時々お父さんが復員して来て東京に帰る友達が嬉しそうな顔で挨拶している 姿を羨ましく想って見ておりました。 中には、戦死して帰ってくるお父さんを迎えに行く友達も居りました。 戦争が終わったのですから「英霊」ではないので寂しいお葬式が 身近の人達によって営まれたのです。 悲喜こもごもの敗戦の焼け野が原から土筆がでる頃には世の中も幾らか 落ち着きを取り戻して来たようでした・・・ 相変わらず食べる物はなくてひもじいお腹は何時も賑やかに鳴っておりました。 今のように痩せる事にお金を使うこともなく、みんな細くて綺麗でした・・・ [ 更新日時:2006/01/19 17:18 ] |
気を付けないと2006 / 01 / 16 ( Mon )
夕方遅くに宅配便が届けられました。
家の雨戸を凡て閉めて有りましたので 私が、うかつだったのですが。 一瞬怖い思いを致しました。 インターホーンが鳴って出ていきますと 男の人が、宅配便だとのこと。 印鑑を取りに戻ったら玄関に入ってドアが 終って居るではないですか。 一瞬ドッキと致しました。 制服を着ておりませんので・・・何事もなく済みましたから、良かったのですが 雨戸を閉めてしまいますと、逃げるところがありませんから。 幸いに良い方で良かったのですが・これからは気を付けないといけないと思いました。 夜遅くまで、寒い中を配達をして下さったのに疑がって終ってごめんなさいm(_ _)m 高鳴る胸を鎮めながら開いたらこんなに 可愛らしいお皿が出てきました。 春が速く来ないかなぁ〜と思った瞬間です。 綺麗なお皿に美味しい五目寿司が似合いそうです。 お誕生日のお祝いをありがとう!! 大事に使わせて頂きますね(^^_)ルンルン〜♪ [ 更新日時:2006/01/16 06:46 ] |
雪は雪??2006 / 01 / 16 ( Mon )
Kさんご夫婦はとても仲が良くて見ていると
良いなぁ〜と思う。 時々小さな衝突が有るようだ。 ご主人の実家が、島根県にあるので今年の 豪雪が気になっているKさんは。 ご主人様がスキーに行くのなら、島根県に行って様子を見てきて欲しいと 言ったのに・・・なんと雪が有っていけないよ・・・と。 ご主人の返事にご不満で・スキー場には雪がないの??と・・・言う事なのですが。 夫婦漫才のようで面白いなぁ〜と思わず笑ってしまいました。 「仲良くて 許されている 我が儘も 時と場合に 寄る事も有りと」 [ 更新日時:2006/01/16 07:53 ] |
戦後幾度と無く変わった母国語2006 / 01 / 14 ( Sat )
![]() 思っていた通りでした。 正しいコトバは選んでいるのに、「つまずく」を「つまづく」に、「通り」を「とうり」にするなど、微妙な違いで間違えてしまうあなた。まずは、「じ・ぢ」「ず・づ」「う・お」「を・お」の使い分けがすばやくできるようになりたいですね。 最強の日本語入力システムATOKなら、そんな表記の間違いを判断して、入力中に指摘。文章を書くうちに自然とかなづかいが身に付いて、日本語表記力を大幅にパワーアップできます。 まだまだ勉強しないとダメですね。 TAKEやんさんの所で見かけたので 遣ってみたのですが・・・ 戦後から、幾度となく変わった国語の教育を受けた 身には、難しいところがありました。 「を」と「お」・・・は。 「を」は「をじさん」の「を」として教育されたのが始まりでした。 「でせう」は「でしょう」に変わり・・・混乱した戦後の新しい教育の中で翻弄されてきましたから。 母国ですのに、送りがなの変化も激しく、入試の度ごとに泣きました。 もっと毅然として「国語」を守ってくれなかったのでしょうかと思った日でした・・・ |
朝ご飯2006 / 01 / 14 ( Sat )
誰も美味しいねと言ってくれる人の居ない
朝ご飯です。 沢庵は長野から頂いた「辛味大根」の辛し漬け。 「根昆布」の佃煮は、北海道から・・・ 金平と煮豆はお正月の、残り物。 昨日一日掛かって煮含めたがんもどきの含め煮。 昨晩作った「豚汁」・・・です。 TVで新潟で数年前に起きた大洪水の河川工事に昔の工法を取り入れて 河に優しい工事をしているのを見ながら・・・ うし枠・じゃ篭と懐かしく・・・故郷の利根川を思いながら頂いた朝ご飯でした。 「冬の朝 頷く人の 有りもせん 誰のためでも ない膳そろへ」 [ 更新日時:2006/01/14 12:39 ] |
シクラメン2006 / 01 / 14 ( Sat )
ガーデニングブームに対応するように昨年
暮れには、沢山の耐寒性のシクラメンが 出回ったようです。 私が、シクラメンをUP致しましたら(家の シクラメンはしなぁーとなっています)と。 コメント欄に有った物ですから・寄せ植えには無理が有 るかも知れませんとお話ししたのですが。 先日ラジオを聞いておりましたら・昨年の暮れに品種改良された耐寒性の シクラメンが寄せ植えに沢山売れて・・・ そのシクラメンたちが、異常気象の為に みんなしおれたような状態になって・・・ お花屋さんには、苦情が殺到しているそうです。 暮れから急激な寒さのためにお花が対応仕切れ なかったようです。 対処法としましては、暖房のない部屋に取り込んで日に当ててやるのがよいとの ことでした。 シクラメンは、球根でもなく、根でもなく、こんにゃくの様なイモから葉や茎が出て お花が咲きますので、イモが凍傷していなければ大丈夫だと思います。 コメントを下さった方のお目に留まることを願って・・・ 元気な今日の我が家のシクラメンです〜☆ 「小椋圭 懐かしんでる シクラメン」 [ 更新日時:2006/01/14 13:10 ] |
落ち葉2006 / 01 / 12 ( Thu )
「春もえて 秋に黄昏 病葉の いさぎの良さが 吾を励まし」
「散り落ちて 黙し語らん 過ぎし日を」 「枯れ果てて なお美しき 木漏れ日の 日だまり温く 夕まぐれ来て」 「傍目には あれよあれよと 日脚無く」 「東屋を 遠く眺めて 通いきる 木陰の中の 落ち葉の香り」 「香りたる 雨の過ぎたる 落ち葉かな」 「履き貯めて 持ち帰りたき 枯れ葉かな 靴の下にて がさごそと言う」 「秋来たと 言わんばかりに 枯れ落ちて」 「この先に 見知らぬ何か 隠れてる 探してみたい 秋深くして」 「曲がり道 あの日の姿 遠くなり」 |
冬の温もりの中で2006 / 01 / 12 ( Thu )
![]() 貴方は家に帰ると何時もキチント着物に着替えて おりましたね。 冬は、丹前に兵児帯を上手に締めて桐の下駄を 履いて歩く姿が素敵でした。 本当に着物がすきでしたね。そして実に上手に着ていました。 夏には浴衣着て袖を肩までたくし上げて淺草を闊歩している姿は、普段ではとても 想像が出来ない姿で。 火事と喧嘩は江戸の華とは言へサイレンの音がすると飛び起きて走り出して 行ったのは責任から。 貴方とのお話が決まるまで、長い年月が必要でした。 研究室で頑張らないといけない立場上身動きが 出来ない状態でしたから。 父や母が優しく見守っていてくれたお陰で晴れの日が 迎えられて。 母が私に、何も無いときには、沢庵を三通りに切って 出すぐらいの知恵で生きて行きなさいと教えてくれて 何も出来ないまま貴方の胸に飛び込んで。 あれから今年で45年の月日が流れました。 暖かな日差しの指すこの家で一人で暮らして 居りますと色々なことが。 走馬燈のように流れは消えて行きます。 二人して歩んだ季節が短いだけに心に残る物が 大きいのかも知れません。 貧しくても暖かな春の日差しのような家庭だったと。 子供達が、大きくなって時々話しに出て来る貴方は優しいパパで。 何時までも私達の心の中で生き続けて下さいね。 真夜中の電話で知らせが来たときに起きられない 私を起こしたのは。 玄関のドアーが叩かれて、、初めて飛び起きた私を 叱りながら病院に車を飛ばしたむすこ。 秋にしては、寒い夜でした。 あれから、二日後に貴方は旅立って逝かれました。 哀しみも無く、忙しさの中に身を委ねてアット言う間の日にちが過ぎて行き。 私が元気でいることが何よりの供養と勝手に解釈 して。 母が貴方の元に嫁ぐ日に「働き亭主に始末女」 を忘れないで。 男が必要とする物は、反対したら男は出征が 出来ないから。 と言われて嫁いできましたが。 果たして貴方に取って私は、良い相棒で在ったのでしょうか。 春のような冬の日溜まりの中でぼんやり考えた午後でした・・・ 「日溜まりの 温さがさそう 誘いに 過ぎた昔が すけては消えて」 |
おぉーいお茶!2006 / 01 / 11 ( Wed )
春が来たような暖かな日でしたので君子蘭の
ひなたぼっこをさせました。 もうじき花芽が葉の中心から出てきますが、 何時も失敗して下の方で咲いてしまいます。 今年は綺麗に咲かせてみたい物です。 少し暖かくて日が当たらないところに置いてありますが旨く行くでしょうか。 これから頑張って家を綺麗にお掃除を致します。 寝坊してしまったために逆に動いて片づけないと・・・ お布団を干してその間に拭き掃除を済ませました。 大きな物を沢山お洗濯して、さぁ〜てと思ったら もうこんな時間です。 お向かいの奥様が帰ってきてお布団を取り込み 始めました。 パタパタと元気よくお布団を叩く音にせき立てられるように 私も手が早く動いて雑巾がけが完了。 お腹も空きましたが、喉が渇いて来ました。 一人ですので、お茶を入れてくれる人が 居ません!! おぉーいお茶と言って催促されませんから 始めたら最後片づくまで動いてしまいます。 後で疲れてしまうのです。 年を取りますと手が掛かっても良いですから、人生を共に歩いてくれる相棒が 欲しいと思うのはこんな時です。 私を置いて先に逝ってしまったのと二階に上ってお布団を入れながら写真に 向かって言ってみましたが返事はないし・・・ 大嫌いな静電気を出すマイヤー毛布が・・・ 矢張り襲ってきました。 今日は、旨く行くと思っていたトタンに足からビリと 来ました。 続けて今度は、アルミの手摺りから・・・もう〜いや(TT); お布団干すの大好きなのですがこれがねぇ〜贅沢なお話しで雪国の方に 申し訳なく思っております。 ふかふかに出来上がったベットです。 お昼を食べたら潜り込みたくなりそうです?(・_。)?(。_・)? 時間を見れば2時少し前。 お腹が空いてきましたぁ〜お昼を食べたら少しノンビリしましょう!! と、思ったら生協のお兄さんです〜☆ 一人は忙しい・・・ご飯を食べてる暇がないうちに夕方に成ってしまうぞ。 相棒よ、私を一人置いて何故・・・早く逝って終ったの。 約束の「花影」を今年は頑張って書き上げますから・・・ 「喉乾き おぉいお茶と 呼ぶ人が 恋しく思える 長閑な冬日」 [ 更新日時:2006/01/11 19:45 ] |
土瓶くぐし2006 / 01 / 10 ( Tue )
寒くて起きていても遣ることもないので早めに
床に付くと朝までは眠れない。 若いときは、ご飯も食べずに幾らでも寝ていられた のに、寝るのにもエネルーギーが居るらしい。 夜中に起きてトイレに行くと空気が乾燥している この季節は、お茶が飲みたくなる。 母と暮らすようになってから、母が朝早くに「土瓶くぐしで良いからお茶が欲しいね」 と良く言って居たのを思い出す。 けして「出がらしで良いから」とは言わない人でした。 前の晩に呑んだ急須がそのままで洗ってない事を咎めたくなかったのでしょう。 同じ意味を持つ言葉でも実に言い回しが言い得て妙です。 昔の人の賢さを大切にして行きたいと思った朝の美味しいお茶でした・・・ 「母逝きて 何気ないよな 言の葉に 昔の人の 賢さを知る」 [ 更新日時:2006/01/10 18:38 ] |
寒い朝2006 / 01 / 10 ( Tue )
夕方から朝に掛けては異常な冷え方なのですが
元気に開き始めました。 こんなに早く開かなくても春は来るのに・・・ 次々と蕾が開いているのは何故?・ 一番日当たりの良いところにありますが 早くも新芽が出てきております。 大きな紫陽花の木に成長致しました。 沢山の新芽を柔らかい日差しが暖めておりますが 朝晩は、ガラス戸が霧を吹いたような感じで曇って おります。 例年にない寒さなのですが・・・ 芽が出てきてしまった「クロッカス」です。 昨年入院致しましたので、掘り起こして おりませんので。 地中の水分が有りましたときの霜で土が 盛り上がったのが原因かも知れません。 沢山芽が出ておりますので無事に咲いてくれるように祈るのみです。 チュウリップも芽が出始めました・・・ 球根を下ろす頃が一番忙しくしておりましたので 手を掛けて遣っておりませんので・・・ もし咲くことが出来ないような状態に成ったときは 申し訳ない気が致します。 雪も雨も降りませんので、土が乾き切っておりますが お水を遣ると凍ってしまうでしょうから。 強いのは、パンジーですが、この子が一番 元気です。 10鉢植えたのですが、どれだけが生き延びて くれるのかが気になります。 萎びきっております姿を見ますと心が痛みますが どうすることも出来ません。 [ 更新日時:2006/01/10 22:03 ] |
−4℃2006 / 01 / 09 ( Mon )
朝起きて来てストーブを付けたら室温が
4℃ウゥー寒い! 窓際に近づくと寝坊していたので、お日様が ポカポカと暖かい感じ・・・南側の雨戸を開けて。 北側の障子を開きガラス戸がー・・・動かないー?? 鍵は外してあるのに、力一杯押してもビクともしない?・ 押してもダメならで、内がのガラス戸を引いてみたら・・・ジャリジャリと言う音がして。 もしかしたら。。。 矢っ張り凍っていました。 昨晩は、こんな宴会騒ぎで遅くまで起きていて 部屋は、暖かかったはずなのに・・・ そうです・・・部屋が暖かいと言うことは水蒸気が 沢山出たから、敷居が氷付いたのですね。 越してきて初めての経験でした。 お日様が出れば、暖かいお部屋で元気な お花たちです。 娘からのお誕生日プレゼントのシクラメンです。 5月頃まで楽しめます。 お花が終わったら土に下ろして上げましょう・・・ 今が盛りと咲いております。 「香りよく 朝の寝覚めの 友として」 大きな花芽が出たヒヤシンスです。 水栽培は、多分ダメだろうと諦めて土に早めに下ろして 毎日お日様と運動会を致しました。 お陰で花芽が出始めましたら日毎に大きくなってくれました。 暖かい日に2・3時間日に当ててやりますと花芽が 良く伸びます。 咲いたらUP致します。 [ 更新日時:2006/01/09 19:45 ] |
落ち葉に寄せて2006 / 01 / 08 ( Sun )
「彼の人と 恋した頃の 道に似て」
「黄金色 蒼き天との 睨めっこ」 「風立ちぬ 懐メロのこと 思い出し」 「赤く燃え 夏の恋なぞ 陰おとし」 「枯れ落ちて フット寂しさが よぎる秋」 ※秋に頂きました素敵な「落ち葉」がUPできないでおりました。 素敵なお写真ですので、お楽しみ下さいませ。 |
カルチャーショック2006 / 01 / 06 ( Fri )
母が元気だった頃のお話しです。
お正月に母が遊びに来ましたので、お友達の 別荘を貸して貰って遊びに行った時のことです。 マンションに成っていて家からも近い湯河原に 有りましたので。 空いているときは、気持ちよく使わせて頂けましたのが有りがたく、母を連れて 行きました。 大きなお風呂には温泉がこぼれるほど湧いていて24時間自由に入れますので 母は大変喜んでいたのですが・・・ 田舎暮らしの人でしたから、様式のトイレに馴れなくて困ったようでした。 私の心配りが足らなかったのがいけなかったのですが、粗相をしてしまいました。 着物を着ておりましたので、便座の中に着物が入っていることに気が付かなかった ようです。 慌てた母の様子が可笑しいのに気が付きまして、急いで着替えさせてお風呂に 連れて行き綺麗に身体を洗って落ち着かせましたら・・・ 平常心に戻ってくれました・・・あの時に「叱ったり」「怒ったり」しておりましたら。 恐らく自信が無くなり、自尊心が傷ついてそれが原因で痴呆症が始まって居たかも しれません。 自分が、年を重ねてみて、初めて分かる老人の心細さではないでしょうか・・・ 元気で天寿を全うして母が明るく楽しい老後を過ごして旅立った日がもうじき来ます。 ある日の母と私の秘め事です。 「最後まで 児の幸せを 気に病みて 逝き日間近の 寒き朝かな」 [ 更新日時:2006/01/06 21:32 ] |
お正月と蕎麦2006 / 01 / 06 ( Fri )
大晦日には、「恵比寿大黒」の神様を神棚から
出して、沢山のご馳走を備えて一年のお礼を するのが習いでした。 この時に何故か檜の小さな桶に生きた鮒が二匹 泳いでいたことを鮮明に覚えております。 除夜の鐘と共に父が朝風呂に入り新年のお祝いが始まります。 お嫁さんは、寝る間もなくお蕎麦を打たなければ成りません。 母とお嫁さんと大きな姉さん達が、寒い台所で立ち働いている姿を見て決して 農家にはお嫁に行くまいと決心した物でした。 関東の米所で有るのに、何故お正月のお三が日がお蕎麦だったのか。 この蕎麦を食べる風習で泣いた人も居ました。 やのチャンは、近くの大きな農家に嫁いできた私の友達でしたが、お蕎麦が 上手に打てないばかりに、婚家を後にしたのでした。 家で大事に育てられていたために、家事を遣っていなかったことがこの悲劇を 産んだのだろうと言う話しでした。 我が家では、それいらいわたくに対して、お蕎麦を打つ特訓が始まった事は、 言う迄もありません。 今では、何の役にも立っておりませんが・・・ 封建的な因習に泣いた友からの年賀状で、思い出した故郷のお正月風景でした。 「初春に 細かく切れた 蕎麦に泣き 今幸せの 友の便りよ」 その頃の農家の台所は、板敷きで冷たくそこでお蕎麦を食べるのは寒い 物でしたが、何故か美味しかった想い出が残っております。 二毛作地帯のこの地では、お客様には何故かおうどんを振る舞う習慣があります。 有名な所では、水沢観音下のおうどんでしょう・・・ ※水沢のうどんはこちらです。 [ 更新日時:2006/01/06 05:28 ] |
誕生日2006 / 01 / 05 ( Thu )
忙しくお正月の支度をしながら横目でかの有名な
番組をチラチラと見ながら・・・ よくぞ女に生まれけりと思った物でしたが、今は 時代も変わり、台所も便利になり時間が幾らか 短縮されたとは言へ女には矢張り忙しい年末です。 年が明ければ、アット言う間の今日はもう4日です。 あれよあれよの内に日にちが経ち、すっかり忘れ ていた誕生日でした。 孫からおめでとうのメールと娘からのカードでそうかぁ〜 今日だぁーと何時も思うのです。 三が日が過ぎてホットする間がないのが行けないの でしょうね。 子育ての頃は、主人にも忘れられておりましたから・・・ 彼方のお母さんが、お祝いして下さったケーキを みんなして美味しく頂いて・・・ 一つ年を取ったことを噛み締めて参りました。 今年から引き算で行こうと思っておりましたら 彼から届いた素敵な「句」・・・ 「古稀に咲く 千両の実や 屠蘇の酔い」 この季節みんな同じ思いで年を重ねて 行くのだなぁ〜と思いました。 近い内にクラス会でも開こうよの誘いが 幼友達の優しい声となって聞こえてきました。 故郷は遠きに有りて思うもの・・・元旦に 実業団の駅伝でTVに写し出された故郷の 山は、凛とした只住まいでした。 人生の終演が近くなってきますとやたらと人恋しくなる様で 逢いたいコールのお年賀状が多く目立ちました。 私だけが人恋しいのかと思っておりましたので 一安心致しましたが・・・ クラス会を考えないといけない頃かも知れません。 「還暦」クラス会は、不況のまっただ中で出来ませんでしたから・・・ 年回りの悪い年代に生まれた物です。 せめて「古稀の会」を遣れるようにしなければ・・・名簿の賑やかな内に。 「古稀近く 故郷恋し 文読みて 空っ風さへ 懐かしくなり」 [ 更新日時:2006/01/05 09:30 ] |
神棚2006 / 01 / 05 ( Thu )
暮れからお正月に掛けて他所のお家にお邪魔する
機会が増えて、なに下に気が付きました?? 結婚して下町で所帯を持ちましたので、家には立派な のがありましたから。 お一日と十五日には、お榊と御神酒は、欠かせませんでした。 お正月には、新しいしめ縄を飾り、御弊を作って心も新に 家内安全をお願いした物ですが。 私の家にも何もありません。 時代が新しくなったのでしょうか、昔ながらの良き仕来りが消えていくことは なんと無く寂しい気が致しました。 家々から消えていった「神棚」のことがふと気になった、昨年の年の瀬でした。 「元旦に 家族そろ居て 祈願した 家内安全 無病息災」 [ 更新日時:2006/01/05 12:35 ] |
近いと言うこと2006 / 01 / 05 ( Thu )
娘の近くに越してきて、良い事もあれば大変なこと
も有る物です。 暮れからお正月に掛けて、一人では寂しいでしょうから 此方にきていらっしゃいと言われれば・・・ 嬉しいのですが、気も使います。 断れば、角が立ちます、中に入った娘は嫁の立場として 何かと大変だろうと私も娘に気を使います・・・ こうして、世の中が丸く収まって行くのですが。 今日から、仕事始めで娘も仕事なのですが、成人式の彼方のお孫さんが お支度をして見えると言いますので・・・ 近くにおりますので、娘の変わりにお赤飯を蒸かしてお祝いをして差し上げようかと。 近くて心強い反面、娘と二人してお嫁さんを務めなければ成らない時も多々有る のです。 これが出来て初めて、好いお付き合いが成り立っていると思っております。 お昼を済ませてお赤飯を蒸かし始めましょう・・・ 「初春に 雪解けるよに 務めたる 嫁という字に 縛られている」 [ 更新日時:2006/01/05 12:37 ] |
誕生日に寄せて2006 / 01 / 04 ( Wed )
「幼き日 愛でて優しく 育まれ
重ねた月日 指で数える」 「吾生きて 波瀾万丈 海原に 月の光の 怒れる如く」 「きな臭く なりし月日を かばい相い 過ごした日々が 懐かしくあり」 「戦終え 遠くに在りし 山並みの 手に届くこと 荒れ地と化し」 「人恋し 恋を覚えて 人となり 幼き命 懐に抱え」 「旅立てり 子らを送りて 独居成る 今の静けさ 風の囁き」 |
MICさんから2006 / 01 / 04 ( Wed )
陽が昇り
月が沈み 月が昇り 陽が沈む 毎日グルグルと 周り続けるルーレット 僕らは ルーレットを眺めながら 過ぎ行く毎日を 当たり前のように 歩いている でもね そんな当たり前なことが 実は大変なだってことを アナタは知っているんだと思う だからかな いつも力を感じるんだ 毎日歩き続けることの難しさと大切さ だから こう言ってみたい 「頑張ったね」 ※サイトのMICさんが新年の企画として「詩」を書いて下さると のことでしたので、お願いしておきましたら、お誕生日の フレゼントに↑のような素敵な「詩」を書いて下さいました。 本当に有難う御座いました。 [ 更新日時:2006/01/04 09:37 ] |
父の教え2006 / 01 / 03 ( Tue )
新しい年も明けると早いもので、もう3日です。
私の、田舎では今日は、初大師様の日で、毎年北風が 吹く日とされています。 この日に限ったことではないのですが「かかぁ天下に 空っ風」谷川颪の風はとても冷たいです(><) 童歌にこんなのがあります♪ 「お正月は、三日の日、大師様のお祭りで、 おばさん所へ、行ったらばぁ、芋煮て、 つんだしたぁ、もう一つおくれと、 言ったらばぁ、横目で睨んだぁ」 北風の強い所では、女の水仕事は大変なんでしょうね^^; 毎年書き初めをさせられたのも、懐かしい思い出です。 書き初めは、毎年同じで、こんな風に今年も生きるようにと言う事の様でした。 「人の世は心丸めて気長く腹を立てずに己小さく人大きく」 明治の人は、余り普段は、教育らしい事は言いませんでしたが、何かの折に触れては、教えてくれました。 「松の内 恵み豊かに 年あけて 良きことあれと 祈る三がにち」 [ 更新日時:2006/01/03 00:37 ] |
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