2006-01-19(Thu)
戦争は終わったけれど
日毎夜ごとにやって来るB29の攻撃から解放され
たのに少しも生活は落ち着くどころか以前にもまして
苦しくなるばかりでした。
配給もなくなりしばらくの間は、無法地帯の様だった
気が致します。
大人達は無気力になり、子供は、学校に行くにも
焼けて終い学校がないのですから・・・どの位の月日が経って学校が再開され
たのか記憶が定かではないのですが。
多くの友達が住むところがないために転校して往ったり、疎開先から戻ってきた
りしておりました。
私も、その中の一人で田舎の学校に転校して往きました。
沢山の疎開児童と田舎の子供の牽制し合う中に毎日身を置くことはとても
辛いことで落ち着いて勉強所では無かったような気が致します。
時々お父さんが復員して来て東京に帰る友達が嬉しそうな顔で挨拶している
姿を羨ましく想って見ておりました。
中には、戦死して帰ってくるお父さんを迎えに行く友達も居りました。
戦争が終わったのですから「英霊」ではないので寂しいお葬式が
身近の人達によって営まれたのです。
悲喜こもごもの敗戦の焼け野が原から土筆がでる頃には世の中も幾らか
落ち着きを取り戻して来たようでした・・・
相変わらず食べる物はなくてひもじいお腹は何時も賑やかに鳴っておりました。
今のように痩せる事にお金を使うこともなく、みんな細くて綺麗でした・・・
[ 更新日時:2006/01/19 17:18 ]
たのに少しも生活は落ち着くどころか以前にもまして
苦しくなるばかりでした。
配給もなくなりしばらくの間は、無法地帯の様だった
気が致します。
大人達は無気力になり、子供は、学校に行くにも
焼けて終い学校がないのですから・・・どの位の月日が経って学校が再開され
たのか記憶が定かではないのですが。
多くの友達が住むところがないために転校して往ったり、疎開先から戻ってきた
りしておりました。
私も、その中の一人で田舎の学校に転校して往きました。
沢山の疎開児童と田舎の子供の牽制し合う中に毎日身を置くことはとても
辛いことで落ち着いて勉強所では無かったような気が致します。
時々お父さんが復員して来て東京に帰る友達が嬉しそうな顔で挨拶している
姿を羨ましく想って見ておりました。
中には、戦死して帰ってくるお父さんを迎えに行く友達も居りました。
戦争が終わったのですから「英霊」ではないので寂しいお葬式が
身近の人達によって営まれたのです。
悲喜こもごもの敗戦の焼け野が原から土筆がでる頃には世の中も幾らか
落ち着きを取り戻して来たようでした・・・
相変わらず食べる物はなくてひもじいお腹は何時も賑やかに鳴っておりました。
今のように痩せる事にお金を使うこともなく、みんな細くて綺麗でした・・・
[ 更新日時:2006/01/19 17:18 ]


