強かった母親達感謝してます2006 / 01 / 24 ( Tue )
![]() 雪に埋もれていてもアイビーは萎れもせず健気にも 緑を称えて茂っている強いと思った。 終戦頃の日本女性は外国婦人から比べたら一回り は小さくか細かったと思う。 あのか細い身体で戦後の復興に役立つ子らを必死で 育てる強さが何処にあったのかアイビーの雪を払い ながら思った。 幼子を背中に長い道のりを食料を求めて歩き餓えさせることもなく成長させてくれた ことに改めて感謝している。 お向かいに叔父さんの戦死の公報が届いたのは暮れも押し詰まった頃だった。 そしてお隣のお兄さんが戦地から無事に帰還したのも同じ頃だった。 人間の幸不幸が何時も背中合わせになって時が流れていたような気がする。 叔母さんは年が明けるのを待って迎えに来た横浜のお兄さんと子供の手を引いて 別れを告げていった又一人私は仲の良い友達を失った。 無事に帰ってきたお兄さんは間もなくマラリヤに犯されて生死の境をさまよう日々が 続いたのを忘れることが出来ない。 命からがらヤット親の元に辿り着けたのに気の毒だと母が毎日言っていたからだ。 医者もなく薬も手に入らない時代では幾ら親たちが手だてを求めて奔走したとしても 無駄に終わるだけだった様だ。 あの時代は病気をしないこと・怪我をしないことを朝から晩まで五月蠅いほど言われ て育ったような気がする。 幸い命を取り留めたお兄さんは、病気でやつれ果てて生きる気力が失せたのか人の 道を踏み外して逝ってしまった、忘れることが出来ない悲しい想い出として深く心に 残っている。 薬草は欠かせない常備薬で、暇を見付けては摘みに行った記憶がある。 「ゲンノショウコ」「ドクダミ」「センブリ」と摘んでは乾燥させて保存していた母を 思い出す。 こうして戦争が終わっても女達の戦争は終わってはいなかったのだと今更のように おもうことがある・・・此の平和な時代を今私は生きている。 「枯れ果てて医衣薬さがす術もなく力絞りて生きて帰れぞ」 |
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