おとを犬のゐ・新仮名遣い

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二部式授業が始まって家が焼けなかったので良く友達
が遊びに来ていた。

焼け出された友達は転校手続きが出来ないために遠い
親戚から学校まで通ってきている人もいた。

一週間交替だったと思う午前と午後とに別れて学校に
通っていた記憶がある。

一番勉強に興味を持つ年代の3年生の時だったから新しく配られた教科書が
読み物の変わりで読んでしまうのには時間が掛からなかったような気が・・・

この頃は多分未だ教科書は有料でお古の教科書を貰って使っていたと思う。

お下がりは出来るだけ勉強の出来る人を見付けて早くからお願いして置いて
丁寧に使って次の人に回したのでした。

学校の教科の科目から「修身」や「歴史」が無くなり音楽の教科書も新しく
成ったような。

この辺の記憶が今一つ確かではない、一番困ったのが算数で家の都合で
転校したときに、今までは「分数」をやっていたのに転校先では「少数」に
なっていたりしたことだった。

何故転校したのかその時が何年生だったか定かではないのだが、この算数の
授業に泣いた記憶だけが今でも頭の中に鮮明に残っている。

私達の年代では勉強らっしい勉強が出来るようになったのは、5・6年生に成って
からだと思う。

国語も「を」は、叔父さんの「を」で「お」はお父さんの「お」だったから、犬の「ゐ」は今は余り使われていないようだが。

母国語の授業が一番辛かったのは小学校低学年で乾いた土に水が染み込む如くに
覚えてしまった物は、中々変えることが出来ず辛い思いをしたのを良く覚えている。

助詞が時々変わったのにも泣いた記憶がある何がどう変わったか今ではすっかりと
「新かな使い」に馴れてしまって・・・

こんな時代でも学校は楽しいところで不登校になる子供は居なかったと思う。


※サイトを探してみました。「新仮名遣い」と「旧仮名遣い」

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