強い女が負けました・・つぶやき

女と買い物に付いての一考察

今は既製服が沢山出回っていて自分で縫って着せるより
格好は良いし、デザインや色も豊富に出回っているので
既製服の方が割安になるような気が致します。

特別な体型でない限りサイズも豊富ですし、子育て中の
お母さんにとっては、助かっていると思いますが。

こんな時代ですので家の中で眠っているミシンが沢山有るのでは
と思いきや友達が、ミシンを買うので見て欲しいとのこと。

久し振りに出したミシンが調子が悪いと言うので行ってみると綺麗で、
特別傷んで居るようにも見えないのでしたが、ジーパンの裾を上げよ
うとしたら糸が切れて縫うことが出来ないのだと言うのです^^

針が折れて怖いのだそうですが、今のミシンはメーカによって分からない
処が多いので困る、ジーンズもそれ程堅い物では無いのに、何故だろう(><)
買い換える事にしたと言う、ええぇ〜そんなに早く結論出して良いの??

修理に3万円は掛かるし、異常音がして「釜」が駄目だと言われたらしい
セールスの人は、悪い人ではなさそうでしたが^^;値段が20万とは・・
簡単に決めるのにはかなりの勇気がいるはずです。

今のミシンはコンピュータ内蔵がほとんどでコンパクトな割には、重いし
値段も高い壊れると修理費にお金が掛かる。昔の足踏みミシンが懐かしい
少し位の故障は自分で直せたのが何よりだった。そして滅多に故障はしな
かったのに・・今は修理費にお金が掛かることを良いことに売りの一手な
のか私にも良く解らない、家電もそんな気がして居るのだが・・

さて無いと困るけれども、買ったからといってどれだけの頻度で使うのか?
私は、ミシンは頻繁に使うのでないと困るのですが、娘は縫い物は私の処に
持って来るので、ほとんど使ってないらしい(^^)

セールスの人は、売ることに必死の割には、値引きをして呉れないのは売れな
いからだろうと、友達も言っておりましたが頑張って一生懸命使って上げないとね(^_^)

「新しい買い物嬉し女だがやり繰りになくのも女なの」

[ 更新日時:2005/02/13 08:28 ]
21:13 | 未分類 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

身繕いの知恵を学んだ日々

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今年の大河ドラマ「巧妙が辻」を見ていて何時の世も
女は知恵を働かせて生きなければと・思った。

千代が肩剥ぎの着物を着ているのを見て、ねねを始め
近所の女房衆が珍しい着物だと驚くシーンが有ったの
だが。

このシーンは戦で家を焼かれて焼け残った衣類の中か
ら使える物を見つけ出して一枚の着物に仕立てた物でパチーワークが盛んな
今の時代には、珍しくはないと思ったのだが。

昔も戦の後は同じなのだと。

何もないところからどうにか工面して身繕いをしなければ成らなかった戦後の
衣類事情は、かなり厳しかった。

竹の子生活で衣類は殆どが食料に変わってお腹の中に入ってしまっていたの
だから。

今のようにハッションだの流行だのを追いかけている時代が来ることを誰が想像し
ていただろうか。

下履きから、靴下・手袋に至るまで凡て手作りで、上に着る物は余程の人でない
限り着たきり雀だったと思う。

母が良くほどき物をしては、私の着る物を手まめに作ってくれていたので、裸で
過ごす事もなく済んでいたのは手先の器用な親を持った有り難さだった。

学校では、何時お風呂に這入ったのか、いつ着替えをしたのか解らない子が
沢山いて、ノミやシラミが這い出してきている子も見た。

学校の備品も不揃いで長い椅子に座っていると虱が這ってくることが有り授業
中に気が散って良く怒られたものだ。

衛生状態が悪く、頭からDDTを捲かれて真っ白い頭で家に帰ってもお風呂にも
這入れない生活を今の子供達は、我慢が出来るだろうか。

こんな生活でも子供達は空襲の恐怖から解放されて余り仲間はずれや虐めは
無くみんな一緒に仲良く遊んでいた。

特別お洒落をして来ている子の方が浮いて見えていたようだ。

寒さに勝てず手袋を編んで明日は学校にはめていこうと頑張ったのだが停電が
多くて出来上がらないまま寝てしまった翌朝枕元に大小不揃いの手袋が置いて
ありました。

母が成れた手で編んだ手袋は同じ目数でも手慣れていて暖かく手に馴染んで
嬉しくてこの不揃いの手袋は大切にしていました。

私の手を暖かく守ってくれた想い出の品は娘が生まれた時にほどいてミントに
編み直して遣ったのです。

物がない時代は、解き物の糸も抜き糸として、大切に使いました。

毛糸は解いて編み直して着る事が出来る素晴らしい繊維で有ることを学び編み
物を真剣に覚えたのはこの頃からです。

物が粗末に出来ない私です。


「いまの世も 物捨てがたく りほーむし 何が出来るか 時を忘れて」


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記憶に乏しいお風呂はどうしていたのだろう



昨日の暖かさは何処に行ってしまったのか
寒の戻りとはこう言う事を言うのだろう。

あの時代は、今よりもっと寒かったような
気がする。

住む家とて満足になく、大抵は焼け野が
原から拾い集めた廃材と焼け残りのトタン板で作ったバラック住まいだったからだ。

被災しなかった防空壕に床を張って住んでいた人は上等な方で、これも雨が降ると
入り口から雨が入ってきて大変だった。

バラックに住んでいる人は、もっと大変で雨の日は座る場所さへ無いほどの雨漏り
に悩まされていた。

バケツや洗面器は、焼け跡から拾い集めた物ばかりで何も無い生活とはこういう
物なのだと身に浸みているので今の時代買い物に行っても消棄法で買い物が
出来る。

戦地から帰還した兵隊さんの鉄兜はお釜に成って二度のご奉公をしたのでした。

焼けないで済んだ家には、被災した親戚が沢山疎開して来ていて焼け出されて
バラックに住んでいる友達を羨ましいと思った事もある。

記憶に乏しいのがお風呂はどうしていたのだろうかと思うことで、焼けない家で
お呼ばれをしてご馳走に(本当に有り難いことでご馳走さまでしたと言って帰った記憶が残っています)なっていたのだろうと思う。

あの頃は、みんな近所が仲が良く励まし合って頑張って生きていたように思う。

闇市が彼方此方に出来始めてきて、母が飯ごうを一つ買ってきた。

飯ごうで炊いたご飯は美味しかったのを覚えている私は飯ごう炊飯が出来る。


「北風の寒さ忘れる暖かさ励まし合って 生きてきた日々」

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