お墓参り



お天気が好い内にお墓参りに行こうと電話を
貰って二人して行って来ました。

お墓銀座ですから何処にも逃げ場がない我が
家のお墓参りは10分の遅刻が。

大変な渋滞に巻き込まれることに。 お花は近くにお花農家が有るのか良いお花が
安くて感謝です。 行き届いたお接待に感謝して先ずは一服頂いて。
沢山の家族連れで賑やかでした。 長閑な眺めで満足していてくれると嬉しいのですが
さてどうでしょうか・・・
娘が大きくなったことは驚きでしょうね。 帰りにフト見上げれば桜の蕾が膨らんで
「3日見ぬ間の桜かな」でした。
一天俄にかき曇り遣らずの雨が降ってきました。






17:34 | 花影 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

息子から

息子が電話を掛けてきたときに丁度口の中に
ご飯が入っていたのですが、息子だから良いやぁ〜
(いまの電話は表示してくれるので良いですね)と
出てしまいましたがもぐもぐで何も喋れず・・・

最初の言葉が「苦しいはぁ〜」では息子が心配
しました。「ごめん!!ご飯が・・」「びっくりしたよー
まだ具合悪いのかとおもちゃった」には済まない
ことをしたと反省致しました。

「お彼岸だから行くからね、序でに床材持って行くから」・・此方は寒いので
冬までにダイニングと台所に床暖房を入れてくれるとのこと「嬉しい!!」・・
単純な親です私は・・待つこと30分やって来ましたニッカポッカのお兄さんが・・

サラリーマンの女房でしたのでなじめないこの姿!!可哀想な息子さま^^;
暫く話して暖かくなったら時間を見付けてきて呉れるそうです。

一段と頼もしく見えた息子でした。小さいときから手先が器用で理科系の学校を
出たのに「大工さん」やってます。仕事が好きで好きで溜まらないようです。何も
此方が言わなくても「あ。うん」の呼吸で仕事がして貰えることは、嬉しいことです
今年の冬が楽しみです・・さきのなが〜〜いお話でした・・・(^o^)

「幼くてコスモスのよう風まかせ揺れて居たのに頼もしくなる」

[ 更新日時:2005/03/22 08:56
11:44 | 大工の言い分 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑



日暮里で乗り換えて京成電車に乗ると電車が
カーブしたところが新三河島駅。

電車がホームを離れると目の前に一本の大きな
煙突がニョキッと現れる。

仕事で疲れたからだが何となくホットする瞬間で。

次々と変化して行くこの煙突は千住名物のお化け煙突で東京電力の火力発電所
千住工場の物で今は知っている人が少ないと思う。

電車の揺れに身体を任せながらこの煙突の変化を楽しんで一日の疲れを癒やした
ものだ。

一本が二本になり三本そして電車がカーブするに従って4本見えた所で又一本
になって鉄橋を渡れば千住大橋の駅に電車が滑り込んでいる。

駅を出て右側に行けば立派な千住大橋が隅田川に架かっている。

その少し手前が築地に継ぐ大きなヤッチャバ「卸売り問屋街」で貧しい生活を何かと
助けてくれたところで懐かしい。

この中のお寿司屋さんは絶品で荒くれたお兄さんやお酒とタバコを気にしなければ
朝早くから美味しいお寿司が安い値段で食べられたのは幸せだった。

千住大橋にには色々な想い出が沢山有るのでこれからも書き続けて行きたいと
思っている。

今は無くなって仕舞った都電が走っていた頃この橋を渡って淺草へは好く遊び
に行った。

ロッテの球場が出来た頃は駅に着くと球場の明るさで目が覚めたような気がした
記憶も懐かしい。

吾妻橋も懐かしい時代小説には好く出てくる橋で橋と人間の関わりを橋は時代
ごとに記憶に留めていてくれる。

隅田川にはこの川の流れと共に生活をした者にしか判らない郷愁がある。


17:28 | 未分類 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

小さな恋の物語



お薬が変わって眠気が無くて今日は暖かいし頑張ろう
と朝から元気好く身体が軽くて。

軽く食事を済ませて。

洗濯物を出しに二階に上がってフトお仏壇を見ると
何やら様子が変です。

確かにバレンタインに揚げて置いたチョコが消えてる・・・
変わりに小さな綺麗な紙袋が・・・まさかねぇ〜?・

と。

思いながらも心は嬉しさで一杯!!

有難う・・・貴方。 遠い道程をご苦労さまでした。

元気にしてますから・・・安心して下さいね。

素敵なホワイトデー・・・になりました。







我が君へ・・・

17:22 | 花影 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

平和の今だから考えよう



世の中が平和になってあの忌まわしい戦争から
開放され豊かな生活に慣れるに連れ。

何か大事な物を日々失いつつあるような気がして
気が揉めてて成らないのです。

このままで良いのだろうか人はひもじさから開放
されて痩せることにお金を使う時代が来ています。

どうか今の生活をもう一度立ち止まって少し後ろを振り返って見て頂けません
か。

あの忌まわしい戦いに戦場に行かれた方の大半が80歳半ばを過ぎて語る
人が日毎に減って来ているとのこと。

昨日のブログに春休みに読んで欲しい本としてこの本をご紹介致しましたが。

どうか時間を作りまして読んで頂けたらと思います。

一人の「文官」であった人が政治の世界に引き出されA級戦犯として13階段
の露と消えていって終った事が。

彼自身が後50年遅く生まれてきたかったと・遺族に残した言葉は何を意味し
ているのか。

昨日のブログにこんなコメントを戴きましたのでコメントをUPさせて戴きます。

続きを読む
22:21 | 私の戦後記録 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

本当にどうしていたのでしょうか

20060724113043.jpg

昨晩はどうしても読み返したい本が在ってかなり
遅くまで読んでいた。

と言うより明け方まで読んでいたと言った方が正し
かも知れない。

本の中に漱石の「我が輩は猫である」の一節が
出て来るのですが。

現代国語調に書き直されて居る本にはこの所が出ていないと思います。

私は幼くして読んでおりますから言葉として意識はしていなかったろうと
思います。

話しの前後でこの言葉が何を意味するのかは理解をしていたと思います。

「高架」とは何と昔の人は難しい言葉を使っていたのでしょうか。

「雪隠」これは時代小説が好きで良く読みますから言葉として理解できます。

落語の本がこう言う言葉を勉強するのにはとても役に立ちます。

「高架」・「雪隠」・「厠」・「手洗い」・「便所」・「ご不浄」・「トイレ」と変化してきた
日本語です。

当たり一面の焼け野が原でどうして居たのだろうかとフト思いました。

焼け野が原に建ったバラックで高い建物が有るわけでもなく力仕事が出来る
人とて居なかったあの時果たして生きて行く以上は生理現象として。

避けて通ることが出来ないこの始末をどんな知恵で凌いだのでしょうか。

私が経験したのはやや大きめな穴が掘って有りまして廻りは焼け残りの
トタン板で囲んだ物でした。

夜は真っ暗で北風に揺れるのは怖い物でしたから出来るだけ家に帰ること
にしておりました。

これらの汚物は家庭菜園の肥料に成ったのですそして慢性の下痢と蛔虫に
悩ませれていたのでした。

今の時代では、想像は付かないでしょうが戦争に負けると言う事はこう言う
現実に向き合わざるをえないと言う事なのです。

どうか二度と再びこの悲劇が起きませんように祈るのみです。

22:14 | 私の戦後記録 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑