本当にどうしていたのでしょうか

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昨晩はどうしても読み返したい本が在ってかなり
遅くまで読んでいた。

と言うより明け方まで読んでいたと言った方が正し
かも知れない。

本の中に漱石の「我が輩は猫である」の一節が
出て来るのですが。

現代国語調に書き直されて居る本にはこの所が出ていないと思います。

私は幼くして読んでおりますから言葉として意識はしていなかったろうと
思います。

話しの前後でこの言葉が何を意味するのかは理解をしていたと思います。

「高架」とは何と昔の人は難しい言葉を使っていたのでしょうか。

「雪隠」これは時代小説が好きで良く読みますから言葉として理解できます。

落語の本がこう言う言葉を勉強するのにはとても役に立ちます。

「高架」・「雪隠」・「厠」・「手洗い」・「便所」・「ご不浄」・「トイレ」と変化してきた
日本語です。

当たり一面の焼け野が原でどうして居たのだろうかとフト思いました。

焼け野が原に建ったバラックで高い建物が有るわけでもなく力仕事が出来る
人とて居なかったあの時果たして生きて行く以上は生理現象として。

避けて通ることが出来ないこの始末をどんな知恵で凌いだのでしょうか。

私が経験したのはやや大きめな穴が掘って有りまして廻りは焼け残りの
トタン板で囲んだ物でした。

夜は真っ暗で北風に揺れるのは怖い物でしたから出来るだけ家に帰ること
にしておりました。

これらの汚物は家庭菜園の肥料に成ったのですそして慢性の下痢と蛔虫に
悩ませれていたのでした。

今の時代では、想像は付かないでしょうが戦争に負けると言う事はこう言う
現実に向き合わざるをえないと言う事なのです。

どうか二度と再びこの悲劇が起きませんように祈るのみです。

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