秋が来ます2006 / 09 / 30 ( Sat )
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本物と偽物2006 / 09 / 30 ( Sat )
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栗のタルト2006 / 09 / 29 ( Fri )
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香の物2006 / 09 / 28 ( Thu )
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成長2006 / 09 / 27 ( Wed )
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神戸から2006 / 09 / 26 ( Tue )
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彼岸花2006 / 09 / 25 ( Mon )
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呼び止められて2006 / 09 / 24 ( Sun )
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別れ2006 / 09 / 23 ( Sat )
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お中日2006 / 09 / 22 ( Fri )
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野道2006 / 09 / 21 ( Thu )
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お墓参り2006 / 09 / 20 ( Wed )
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夕餉の時2006 / 09 / 19 ( Tue )
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ずんだ餅2006 / 09 / 18 ( Mon )
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秋桜2006 / 09 / 17 ( Sun )
![]() 四角い封筒に行儀良く書き連ねた宛名を見て性格そのものだわ と思うと思わずクッスと声が漏れるのだった。 早く封を切りたい気持ちを無理に抑えて手にした箒とちり取りを 元に戻すと丁寧に手を洗った。 下駄を揃えて脱いで急いで茶の間の手箱から握り鋏を取り出すと エプロンのポケットから大事に取りだした封筒を開ける。 一週間に一度は来るいつもの便りだが何時も新鮮な感じがするのは 何故だろうか。 綺麗な字で書かれたやさしが溢れる手紙を読みながら元気でいてくれることが何より嬉しいと思うのだった。 3才違いの久夫とはどちらからともなく好意を寄せていた。 お正月のご年始や親戚の法事や祝い事に顔を合わせるようになって 何時頃からお互いが意識し始めたのか覚えていないのだが今はこうして お互いに手紙のやり取りをしている。 父も母も知っているらしいが特別に咎められた事はない。 従兄同士という事で反って安心しているようだった。 満州から苦労の末に引き上げてきて夜学で学び大勢の兄妹のために 働き通して自分の楽しみを知らない人の様だったが良く本を読んでいた。 ある時本家に親戚一同が集まる祝い事が有った帰り道に叔父さんが 「どうだ嫁に来るか」と急に言い出した。 母の兄妹の半分はその場にいたのだった。 突然のことで田舎道を歩きながらする話しでは無いでしょうと言う様に 末の叔母が「そんな仲だったのー」と素っ頓狂な声で叫んだ。 久夫はその場にはいなかった。 母は黙っていた。 叔父の性格をよく知っていたからだ。 母と叔母は仲がよい姉妹だった。 内々に叔母から母に話しが来ていたらしい事を私は薄々は知っていたのだが。 何しろ久夫には 姉妹が多いのだった。 みんな従姉妹だから問題はないのだが。 叔父の性格が好きになれないでいた。 秋のある日二人はみんなを安心させた。 叔父も叔母も優しかった新しく立てられた別棟で二人の新しい人生が 始まった。 |
初秋2006 / 09 / 16 ( Sat )
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初恋2006 / 09 / 15 ( Fri )
![]() 学校から帰ると祖母の言うように何時もキチンと着物に着替えて 父の書斎に挨拶に行くのだった。 ドアを開けて這入っていくと父は待っていたかのように優しい 手でおかっぱ頭を撫でながら「おかえり・・・」 膝に抱き上げることはしなかった。 一抹の寂しさを感じながらもお仕事中は仕方がないのだわと諦めて 書斎を出ると祖母がお八つを用意して待っていた。 双子の姉が相次いで幼くしてこの世を去り暫くして授かった自分が 大事に育てられていることは子供心には窮屈で嫌だった。 書斎から出て来た父は人が変わったようにお膳に座ると同時に私を あぐらの膝に抱き上げて頬刷りをしてきた。 こうなると暫くは放して貰えないことを知っていた。 裏の野原で子供達の声が元気よく聞こえてくる。 早く行って一緒に遊びたいのに。 この父の膝からどうして逃げ出すかが難問だった。 あの当時では珍しい電話が鳴って父が立ち上がって抱き上げられ ないように「おしっこ」と言って逃げ出した。 何時も使うこの手を父も心得ていて笑って開放してくれるのだった。 玄関に靴と入れ替わりに揃えられている駒下駄を履くと私はヤット 自由を手にした子供になれた。 幼い頃は身体が弱く7才までは育たないだろうと言われた両親は 武蔵野の地に別荘を買って都心から越してきたのだ。 二階の私の部屋からはお天気が良い日には綺麗な姿の富士山を 観ることが出来た。 |
梵鐘2006 / 09 / 14 ( Thu )
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秋茄子2006 / 09 / 13 ( Wed )
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秋雨2006 / 09 / 12 ( Tue )
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麗子2006 / 09 / 11 ( Mon )
![]() 板張りの床がぎしぎしと音を立てて泣いているようにきしむ中で オルガンを弾く手を休めて隣の部屋で床に伏している母の様子を 探るように伺っている。 学校から帰ってオルガンに向かうとき日曜日が無い世界に生きた たいと何時も思う。 なぜ自分がこの家に生まれたのかわたしが望んだわけでもないのに、 母が倒れてからいつの間にか自分に廻ってきた奏楽の奉仕を時々恨めしく感じる時がある。 ひと通りの稽古を済ませると母の部屋の扉を開けてみる。 床の中から優しい眼差しで母が微かに微笑んだような気がして膝から 滑るように座り込むと母の額に手を当ててみる。 熱がないのでホットする。 薄く眼をあけた母が。 「ごくろうさま・・・とても上手に成ったのね」と冷たい手を膝に置いて言った。 「そうかしら・日曜日までには弾けるようにしておきます」 後二日もあるしもう充分に弾きこんでいるから自信はあるのだが。 「あなたも大変ね・・・オルガンを聞きながら少し眠ったようね」 昼間は園児のざわめきで眠られない母を気遣って出来るだけ静かに 間違わないように注意して稽古をしていてもオルガンのペタルを 踏むたびにシーンとっした部屋に響くぎしぎしと鳴る床が気になって 仕方がないのだった。 「それで熱が出なかったのかしら・わたしご飯の支度してきます」 台所に立つと手際よく夕食の支度はあっと言う間に出来上がりヤット 出来た一人の時間を楽しもうとしているときに。 |
教え2006 / 09 / 10 ( Sun )
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花岡牧師2006 / 09 / 09 ( Sat )
![]() 99才で天国に召された先生は友人の父であり 2637名の卒園生の父でも有ります。 1907年(明治40年)に金沢市のお花やさんの 息子さんとして生まれこよなくお花を愛された 心優しい方でした。 1936年(昭和11年)に町田市原町田教会主任担任牧師として愛媛県大三島教会 から移って来ら戦火の中を三度召集を受けて戦地から無事に戻られて以来その生涯 を障害児と共に歩める幼稚園教育に捧げられました。 最初は一人の牧師とそのご家族と5人のキリストを愛する人が集う小さな教会だった そうです。 一粒の麦が地に落ちて多くの実を結び大きな教会が狭く感じられたお別れ会でした。 軍国主義の時代に一人のクリスチャンとして僅か一万人弱の小さな村に一粒の種が 蒔かれたのでした(現在40万人の魔都町田市の一つの歴史では無いでしょうか) 一つの教会に50年間踏み留まられ市の発展と共に77才にして南町田に伝道所を 作られると共に老齢化に合わせて「みぎわホーム」老人憩いの家を建てられました。 先生の優しさに惹かれ伝道所は南町田教会となり79才にして牧師として赴任して 行かれました。 家を出ますときは秋の雨が降っておりましたが・お別れ会が済み外に出ますと残暑 厳しい暑さでした。 久し振りに訪れました教会で多くの友人知人と巡り会うことが出来ましたことを深く 感謝しております。 涙で目を赤くした娘も多くの方に励まされて元気になりましたこと感謝です。 昨日のお別れ会に参列出来ましたことで生活の原点に戻れましたお導きに先生を 忍ぶと共に御救いに深く感謝しながら帰途に付きました。 |
出会い2006 / 09 / 08 ( Fri )
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疲れたら2006 / 09 / 07 ( Thu )
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サルスベリ2006 / 09 / 06 ( Wed )
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お誕生日2006 / 09 / 05 ( Tue )
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朝2006 / 09 / 04 ( Mon )
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ウオーキング2006 / 09 / 03 ( Sun )
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谷戸2006 / 09 / 02 ( Sat )
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二百十日2006 / 09 / 01 ( Fri )
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