ひなたぼっこの縁側日記

日々のことをつれづれなるままに書いて行きたいと思います。
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勤労奉仕・・・

彼は中島飛行場で製造過程に廻す図面を書く 仕事をしていた。夜間中学を卒業して母ひとり子ひとりの生活は けして豊かな生活とは云えず。タダ黙々と真面目に与えられた仕事をこなし 丁寧で綺麗な図面は工場では評判となり仕事は日毎に忙しさを増し 風邪がもとで身体を壊したが、元来丈夫なたちで気にも留めずに 仕事には行っていたが、ある日喀血して倒れ再び起きあがることは 出来なかった。今のようにコピーが有るわけではなく、戦争が激しさを増す中で飛行機の エンジン過程の仕事は昼夜を問わず働いても追いつかない状態だった。医者は軍医として戦地に駆り出され只静かに横たわるって居るには 若すぎる年齢だった。母親は御嶽信仰に走りひとり息子の回復を 祈願し続けたが、回復の兆しは見られず。戦局は日毎に激しさを増し硫黄島が落ち 本土の空襲が激しさを増す中で二十歳の青年が 床に伏していることは世間の風も冷たく居たたま れずに「どのみち助からない命ならば」と。炭坑夫として九州に赴き「青年勤労隊」の旗の下で働き、朝晩海に潜り 牡蠣を捕り食べている内に身体が回復し元気になり無理のきく身体に なった時「原子爆弾」が広島に落とされ「軍港が近い場所で危険だ」と 云う事になり、次の朝早く列車に飛び乗り帰京したそうだ。鈴なりの汽車の旅は屋根まで人が乗り、広島を通過したときはこの世の 地獄を間の当たりにして無事に家に戻れるとは思って居なかったそうで 富士山を見て此所まで来ればどうにかなるとホットしたそうだ。漁師さんも戦地に駆り出され捕る人のない牡蠣は、岸壁に見事にへばりついて いて、海水で洗い、食べた味は一生忘れられない味だったと。元の職場に復帰し終戦を迎えたそうだ。戦後は母を養うために買い出しに走り、検閲警官に捕まり全てを没収された 事など懐かしそうに話していたが。若いときの無理が年老いた身を蝕み5月29日帰らぬ人となった。戦争を語るとき病身の身故の辛さは想像を越す物であったようだ。暑い夏が過ぎれば初彼岸が来る、享年84歳。

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