ひなたぼっこの縁側日記

日々のことをつれづれなるままに書いて行きたいと思います。
2017年07月 ≪  12345678910111213141516171819202122232425262728293031 ≫ 2017年09月
TOPスポンサー広告 ≫ 原爆忌・・・TOP全てを表示 ≫ 原爆忌・・・

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 | Comments(-) | Trackbacks(-)

原爆忌・・・

ラーメン店の店内は鳥肌が立つほど冷房が効い ていて熱いラーメンを美味しく頂くのには最高だ った。夕立が来ても気温が下がらない異常気象の 日々が続いている。店を出たときは雷鳴が轟き大粒の雨が身体を打ち付けて痛かった。多摩御陵の脇をすり抜け大急ぎでトンネルを抜けるとアスハルトは 渇き雷鳴だけが追いかけてくるように鳴り続けていた。連日の雷雨で早起きをしても雨に打たれた朝顔の蕾は雨に濡れて開けない でいる。なんの罪もないのに可哀想だ・物価高が叫ばれていても平和な世の中で 真夏に身体の芯まで冷やして熱いラーメンが食べられる日が来ると63年 前に誰が想像しただろうか。今日は世界で始めて原爆が我が国に投下され た日です。TVの実況中継を見ながら、あの日の朝、母が 「これでこの戦争が終わるかも知れない」と ポツリと呟いた言葉が思い出された。「新型爆弾」とだけ風の便りに聞いた空襲明けの朝だった。命からがら一晩中逃げまどいヤッと辿り着いた家に腰を落ち着けている 暇は無く、市内にある親戚の安否の確認に忙しい日だった。前橋の空襲が非常に残酷だった事の謎が解けた「猪の鼻トンネル」だった。同じ「中島飛行場」が近くに有った事をサイトを検索して知った。私が書きたくても書けないでいた事を今 此所に記して置きたいと思う。長女の出産の為にお茶の水の順天堂 大学病院に入院していた時にお隣の ベットに身重の同い年の人が入って来て 仲良しになり、良いお友達が出来て日頃の 退屈から解放された。彼女は自分が被爆者で有ることに寄って折角授かった命をご主人様が 怖がって諦める事にしたこと。8才で被爆し、お父さんが戦地にいく前に女の子ばかりの姉妹で役所に 届けるのが恥ずかしく男の名前を付けられたこと。ベットには「○衛門」と名札が下がっていた。独りで来て処置が済み独りで帰って行った 彼女とは住所が近かった為に何度か行き 来をして娘の成長を喜んで貰ったのだが。被爆から17年経っても被爆の恐怖に怯えて 我が子を手に抱くことが許されない現実を どう後世に伝えるべきか言葉が見つからない。諦めきれない彼女の処置は厳しい物で出産と変わりなく独りで痛みに 耐えて一昼夜苦しんで事が終わった。ご主人様も諦めきれず一度も姿を見せることはなかった。家族同士で食事に出掛けたとき娘を抱かれたご主人様は頑張ってもう独り 産んで我が家に下さいと笑顔で言っていたが・本心かも知れないねと主人が ポツリと言った。目の当たりにした戦争の残した傷跡の悲劇を 引きずって歩いている人は、高齢になり。私達の年代が記憶を辿って語り継いで行かな ければ成らないと思っている。戦後は未だ終わってはいない、この国が二度と 再びあの様な馬鹿げた過ちを犯しませんように祈るこの頃です。朝焼けの空は曇り雷鳴が聞こえてきました。犠牲と成られた方々のご冥福をお祈り致します(合掌) *炎天に子ども宣言原爆忌 *原爆忌遺影抱く児のしわにあせ *照りつける8時15分黙祷す *為すがままハンカチ握る老いた顔 *この日だけ思い出してる夏の朝

Comment













非公開コメントにする

Trackback

Trackback URL

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。