ひなたぼっこの縁側日記

日々のことをつれづれなるままに書いて行きたいと思います。
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夏みかん

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大きくて表面が凸凹していて格好は悪かったし何より懐かしく
感じるのはあの酸っぱさ。

最近では甘夏やグレープフルーツにおされて姿が見えないけれど。

思い出しただけで顎が硬くなって口の中が梅干しを食べたような
感じになってくる。

子供の頃お八つなどと気の利いた物がない時代は水菓子と
言われていたのが果物で。

冬は林檎・夏が近くなれば夏みかんだった。

固い皮を剥いて一房ごとに分けて綺麗に中の実を出してお塩を
付けるか重曹を付けて食べた物でした。

重曹を付けるとジュワーと沫を吹いて酸っぱさと香りの良さで満足した
物ですが今は甘夏柑が殆どで探しても見つからないと思う。

時には懐かしく昔の味を楽しみたいと思うのだが・・・

この国に蜜柑がどのようにして這入ってきたのか懐かしい歌を思い出しました。

♪・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・♪
 
香りもたかい 橘を 積んだお船が 今帰る
遠い国から やって来た この橘の 香と共に
今帰る 田道間守 田道間守(たじまもり)

この歌は確か3番まで有ったようですが思い出せません・小学校一年生の時
だと思います・旋律が優しくて素敵な歌です。

幼い日の記憶ですから定かでは有りませんがこの方のお話から思い出しました。
この様に歌にして覚えた日本史が懐かしいです。
「蜜柑の由来」を調べてみましたら

永い歴史のある有田みかんについては色々な紹介本が世に出ている。
しかし、田道間守が橘本神社に植えた蜜柑の始めとする「トキジクノカグノコノミ」に
ついてはあまり書かれていないが橘本神社元宮司の前山虎之助氏が自著で田道間守に
ついての柑橘論を発表している(12)。
それによると、後述する有田郡糸我の蜜柑「橘」は加茂橋本から移植したものであり、
田道間守の植えた橘は自生の橘と種類が違う「九年母温州蜜柑」のようなもので、
橘本地区を中心に近郷の村々にも栽培されていた。
紀州蜜柑の元祖の地は加茂村の橘本であると述べている。

【長実金柑】
 田道間守の物語は西暦1世紀頃の話である。
その後の和歌山の蜜柑についての記録は有田市の「糸我社由緒書」に
永享年間(1429~1440年)に「有田郡糸我庄中番村に1本の自生の
橘あり」という記録まで1400年近く空白である。
しかし、この間、日本の柑橘史では、時代とともに中国大陸から幾種かの
柑橘が伝来している。

 8世紀初めには唐の国からコウジ(柑子)(続日本紀)、鎌倉・室町時代に
入るとクネンボ(九年母)、小ミカン、キンカン等である。

さて、紀州蜜柑こと有田蜜柑の起源については2説ある。

有田における「自生説」と「肥後八代からの移植説」である。
これを諸資料から考察したい。(私の記憶が定かで有りませんでしたので)

※サイトから記事を拝借致しました。

Comment

写真がなくて><;
編集
記事と写真が一致していなくてごめんなさい。

今は夏みかんも甘くなって酸っぱくなくて
苦みはありません。

重曹もお塩も要りません。
皮も硬くなく簡単に剥けます。

コメント有難う御座いました。
2009年05月06日(Wed) 11:47
写真とタイトルと見比べて
編集
夏みかんだと思い込もうとしたデュエットです。
わたくし、夏みかんはどっちかというと苦手でした。 酸っぱい/苦いがダメだったのです。

そろそろ食べ始めようかしら。
十分大人になりましたし。(笑)
2009年05月05日(Tue) 21:34












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