ひなたぼっこの縁側日記

日々のことをつれづれなるままに書いて行きたいと思います。
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経木(へぎ)

経木

先日懐かしい経木に這入った納豆を頂いた。

経木に収まった「納豆」は白い衣を着て良く発酵し、かき混ぜると
糸を引き豆の姿が見えない程だった。

台所で母の声が聞こえたような気がした。


何処かで母の呼ぶ声が聞こえるのだが、起きあがることが出来ない。

待ちくたびれた母が階段を上がって来る音で目が覚め大急ぎで着替えを
済ませて、小銭を握りしめると下駄をつぅかけて走り出していた。

近くの納豆屋さんでは、叔母さんが綺麗に売り切れた箱を片付けていたが
私を見ると棚の上から経木に包まれた三角の納豆を、「今朝は遅かったね」と
笑いながら、芥子を沢山入れて手渡してくれた。

小父さんが出征してからは、小母さんが一人で頑張ってお店を守っていた。

小父さんが戦地に行って朝の納豆売りの声が消えてからは、納豆も「つと納豆」から
経木に変わり、私の朝の仕事が一つ増えたのだ。

小母さんは「お父ちゃんが帰って来るまで頑張るからね」と何時も言っていたのだが。

小父さんは、ある日、白木の箱に入って無言で帰ってきた。

小母さんは、小さい子供を連れて田舎に帰っり、私の朝の仕事は終わった。

今は、車でお豆腐屋さんがやってくる。

*納豆を食べた後の経木は水洗いをして、乾かされ竈の焚き付けとして灰となり
灰は、庭先の畑の肥料となった。物を大切に生きた耐乏生活が思い出された朝だ。

いま一つ思い出される物がある。
戦後「マッチ」が手に這入り難い時期が暫らく続いた。

経木より少し厚めに削られた経木の先に「硫黄」を点けた物で(点け木)として
少しの火種で火を起こした生活が続いた。

今は、マッチが点けられない子供もいるらしいが。

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