ひなたぼっこの縁側日記

日々のことをつれづれなるままに書いて行きたいと思います。
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故郷の味

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前橋名物の「かたわら饅頭」が、お野菜の中に偲ばせてあった。
兄が私を喜ばせたくって夕方買いに出て荷物に入れたのだと
姉が教えてくれた。

田舎にいた頃は、並ばないと買うことが出来ないほどの人気で
お土産に買い求めるのが大変な「酒饅頭」で、市内が寂れるに辺り
消えていったのだが。

又復活したのだそうだ。一口食べた兄は私の喜ぶ顔が目に浮かび
買いに走ったのだと聞いて涙が出そうになった。

箱と言い経木・味も変わらず懐かし故郷の味がした。

ありがとうございました。

復元した店主の言葉は下に

【群馬】片原饅頭の味再現
2007年11月19日

 96年に廃業するまで前橋市千代田町の中心商店街に店を構え、お土産の定番だった「片原饅頭(まんじゅう)」。麹(こうじ)から作る酒まんじゅう本来の製法を頑固に守り通したことで知られ、いまも、その味を懐かしむ市民が少なくない。同市出身の元競輪選手で食品会社長の福島正幸さん(59)が、この片原饅頭を目標に新たな酒まんじゅうを作りあげ、「銘菓の復活」と話題になっている。



「本家の8~9割は味を再現できた」と話す福島正幸さん=前橋市西片貝町4丁目で

 片原饅頭志摩屋本店は1832年創業で、旧片原通りにあったことが、名の由来。

 平たい形と、こしあんの上品な甘さ、イースト菌を使ってないからすぐに硬くなるが、それを焼いて食べるとまたうまい――その味と伝統は、市民の語り草となってきた。行列のできる人気店だったが、後継者の不在を理由に閉店してから11年、空き店舗は当時のまま残る。

 前橋市で生まれ育った福島さんにとっても、「片原饅頭」は、子どもの頃から慣れ親しんだ味だった。競輪で賞金王3回に輝くトップ選手になってからは、大会で帰郷するたびに買い求め、選手仲間にも紹介した。

 懐かしい味を復元したいと考えるようになったのは、6年前、麹の発酵から指南する酒まんじゅう作りの技術書のコピーの入手がきっかけだ。「82年に引退した後、前橋で始めたぎょうざ店も軌道に乗り、目標を失いかけていた時期だった」と振り返る。

 その書には、全国の酒まんじゅうの名店が紹介されており、片原饅頭の名もあった。元競輪チャンピオンのチャレンジ精神に火がついた。

 全国から取り寄せた麹菌の選定や発酵温度の管理に試行錯誤を繰り返す日々が続いた。昼夜逆転生活になって体調を崩し、ドクターストップをかけられるほどだった。

 どうしても壁を越えられないでいるときに、片原饅頭で職人頭をしていた人物を突き止めた。指導を仰ぐと、「菌はすべて処分したので、同じものをつくるのは無理」と断られた。が、毎日のように自宅に通い詰め、最後は首を縦に振ってもらった。

 元職人頭に細かいアドバイスを請いながら完成させたのが、3年前、同市西方貝町4丁目の工場を改造した店舗「前ばし 万十屋」で売り出した「ふくまんじゅう」だ。

 口コミで評判が広がり、手作りの一日300個が午後3時の閉店時間前に売り切れることもしばしば。県内で開かれる物産展や東京の県人会の集まりに持ち込むと、「片原饅頭そのもの」と絶賛された。

 だが、福島さんは、いまのままでは満足していない。できれば「ふくまんじゅう」を「片原饅頭」として売り出したいと考えているからだ。

 県外にいる片原饅頭の創業家に対しては、空き店舗の再利用を市街地活性化につなげたいと考える前橋市を通し、意向を確認

Comment

ありがとうございます
編集
nmzkさま
4歳年上の兄ですが、妹が私一人ですので
小さいときから優しい人でした。

昨年大病をしてからは,なお優しくなりました。

血の繋がりが無いだけに優しさが身に浸みます。
2012年04月06日(Fri) 16:38
嬉しいですね(^O^)/
編集
復元した店主の努力、お兄様の愛情が嬉しいですe-343
2012年04月05日(Thu) 22:34












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