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2005-08-13(Sat)

頂いたコメントから

[梢華] [2005/07/31 23:23] [ MyDoblog ] [削除]
こんばんは。
記事を拝見していて、祖母が話してくれたお話を思い出しました。
昔我が家では馬を飼っていたのですが、戦火の中とうとう軍馬として供出されることになったそうなんです。
でも、当日トラックが来て、馬を引いてきても、中々トラックに乗らないんだそうです。
自分がどこにいくのか、まるで解っていたかのように、足を踏ん張って後ろづさりをしていたとか。
何人もの大人から手綱をひっばられ、尻を押され、鞭を打たれて、無理無理乗せられた馬が、顔を精一杯伸ばして嘶くんだそうです。
目にいっぱいの涙を溜めて。
その時の声が忘れられないと祖母は言ってました。

その話に、人間だけが戦争の犠牲になっているわけじゃないのだと、子供心に思いました。
戦争は知りませんが、悲しい思い出です・・・。

[なべちゃん] [2005/08/11 10:07] [URL] [ MyDoblog ] [削除]
8月15日は日照りの暑い日でした。石段を上がると桜の古木が二本あり、アブラゼミが
うるさいほどないて、そこに父が大阪から焼けた機械と一緒に工員さんを綾部の疎開
先に連れてきてましたが、その人たちと一緒に玉音放送を聞きました。
内容は耳が悪いので分からないままでしたが、後年ドラマなどで何度も聞き、そんな
雰囲気だったと思いました。
ラジオは大阪から持ってきたのだと思います。蓄音機もあり「ボレロ」を飽きもせず繰り
返し聞いていました。レコード盤も数枚しかなかったのです。
叔父が海軍の通信兵で、終戦捕虜で帰省してからは、頼まれてはラジオを組み立て
ていました。私も高一くらいでミニチュア管のラジオをつくり、大学時代下宿で使ってい
ました。

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[majomajo] [2005/08/07 21:53] [削除]
前にも書いた母の空襲。
宇都宮城下町に住んでました。
夜の激しい空襲で倉が焼け、玄関に火が移った時は大勢がバケツリレーで消し止めたそうです。
庭の広い家で母屋は被害がなかったそうですが、見渡す限り焼け野原だった。
「何が悲しいって・・・倉は全焼ひな人形の頭だけ焼け残りころがっていたこと」いまだに悔しそうに話します。
家族が無事だったことが幸いでした。
イラクの人も同じ思いをしているのでしょうか・・・・・・。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
皆様が、本当に真剣に読んで下さったこと、感謝申し上げます。

沢山頂いたコメントの中から、戦争に関したコメントを選び皆様に読んで頂きたく

UPさせて頂きました。

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